ライスワークというのは、ライフワークの対義語みたいなもので、生活費を稼ぐためにする仕事っていう意味です。
「仕事に遣り甲斐を見いだせない」というお悩みが多いです。これは、今やっている仕事に遣り甲斐がないということではなくて、遣り甲斐のある仕事が見つからないというような意味です。仕事が長続きしないこともあります。
実はこの「仕事に遣り甲斐を言い出せない」というお悩みを、わざわざお金払ってまで心理カウンセリングで話される場合、そこにはたいてい深刻な背景があります。なにかを変えようとしている人しか私の有料のカウンセリングには申し込んでこないものですから。
この記事もピンとくる人だけ読んでいただければと思います。
稼がないと生きてゆけない恐怖
「仕事に遣り甲斐を見いだせない」などと言うと、「甘えている」と怒りだす人たちもいます。「遣り甲斐は自分で創り出すものだ」なんてね。
その怒りだす人たちも遣り甲斐を見いだせない人となにかが似ています。仕事を本当に楽しめている人たちは怒りません。
心理セラピーに申し込むほど「仕事に遣り甲斐を見いだせない」が深刻なケースの人たちには、稼がないと生きてゆけないという恐怖があります。
とくに男性の場合、「男は家族を養うくらい稼げないと存在価値がない」という社会通念があるために、女性よりも稼げない恐怖に脆弱であると言われています。男性の自殺が多い原因とも言われています。
心理セラピーでこのテーマを扱う大半が男性です。
働くことに抵抗がある人に対して多くの人が「働かないと生きていけないよ」とアドバイスしますが、そんなことくらい分っているのではないでしょうか。むしろ、毎日のその恐怖を感じていたりします。
多くのアドバイザーはその恐怖が足りないから働けないのだと推測しますが、実は恐怖が強いから働けないのかもしれません。
「真面目に働けない病」ではなくて「気軽に働けない病」ということになります。
遣り甲斐の強迫観念
「仕事に遣り甲斐を見いだせない」深刻なケースには、もう1つ、「仕事に遣り甲斐を見出すべきだ」という社会通念が関係しているようです。
求職のときに志望動機なるものを訊ねられて、「生活費が必要だから」とはなかなか答えられません。採用側にも「モチベーションの高い人が良い仕事をする」という神話があります。
仕事大好きじゃないといけないみたいな。
夜のお仕事(セックスワークなど)の方で「わたしこれしかやれないから」という人がいます。夜の仕事ならやれるというのは、お金に困ったから働きにくる人たちがいることを採用側や上司が了解しているということが関係しているかもしれません。遣り甲斐をもつことを求められないのです。私も夜の街で働いたことがありますが、ワケアリ当たり前の世界には独特の優しさがあったように思います。
そして、本人にも「遣り甲斐のない仕事するのは不幸だ」という思い込みがあります。
賃金がもらえるだけで喜べる人と比べてみるとわかりやすいかもしれません。
よくある「好きなことを仕事にする」というキャッチフレーズは、この強迫観念を利用した不安マーケティングである場合もあるでしょう。
「ライスワークではなくて、ライフワークをしよう」という理想が、現実の環境をまるで地獄のように思わせている場合があります。
ライスワークの重要性
働けない深刻な心理状態には、「稼げないと生きていけない恐怖」と「仕事には遣り甲斐が必要であるという信念」に挟まれているケースが多いように思います。
現代日本で生き延びる力の1つとして、生活のためのライスワークを受け入れる力があるように思います。
稼がないと生きていけない恐怖については、「稼げない人間には価値がない」などのトラウマを解消する必要があるかもしれません。そのようなトラウマが解消すると、どれくらい稼げばよいかが見えてくるでしょう。
「遣り甲斐のない仕事をする人生は不幸だ」というい信念は、「ライスワーク恐怖症」と呼ぶとわかりやすいのではないでしょうか?
終身雇用もとっくに崩壊しているので、気楽にアルバイトしたり、いったん収入下がったりしながら、チャンスをうかがえる社会と個人になる必要があるでしょう。生き繋ぐ期間や、ダブルワークとして、ワイフワークのふりをしないライスワークは重要ではないでしょうか。
心理課題としては、「稼がない人間には価値がない」トラウマと、ライスワーク恐怖症ですね。前者については、他の多くの記事に書いている感情力動アプローチの得意分野ですので、ここでは取り上げないことにします。
ライスワーク恐怖症の克服方法
つまり、遣り甲斐のない仕事をやるということ。当たり前にこなしている人もいますが、ある人にとってはなかなかタフです。
遣り甲斐がないといっても、まったく遣り甲斐がないわけではありません。嫌な仕事とも違います。
通過点であることを知る
ライスワークが恐ろしいかどうかは、その先があるかどうかだと思います。それは通過点だということを知る必要があります。それをやっていたとしても5年、10年後は違うことをしている可能性は高いです。
仕事に応募するときに「長く続けるつもりはありません」と言うのもよくないですが、そこはうまくやりましょう。
就労支援サービスの類も、通過点であると考えることをなかなか許してくれないようです。むしろ、定着を気にしたりします。心理的な知見からすると、「辞めてもいいのだ」と思えることや「次の転職を考えてもいい」ということがひとまず定着を支えることだってあるはずなのですが。
働けない深刻なケースの人には、一つの仕事を一生続けるという世界観を受け継いでいる人が多いように思います。
50歳から脱サラ農業をする人たちもいます。そんな人たちに土地を紹介したり研修したりしている先輩の脱サラ農家もいます。
また、長く続けることになったとしても、その仕事を始めた頃というのは後で振り返ればやはり通過点です。
いずれにしても、今の自分が将来の自分の遣り甲斐まで責任をもつ必要はないのです。今の自分に必要ならやればいい。
時代の変化を感じること
そして、5年、10年後は世の中も変わるということも意識する必要があると思います。
なので現時点で未来がないようでも、この先ルールが変わっちゃうなんてこともあるのです。10年前には履歴書にブランクができたら二度と採用されないと言われていました。それはほぼ犯罪者と同じ扱いでした。今日では「ブランクOK」という求人もあります。
ダブルワークがOKになってくると、普通に働けない人たちには可能性が開けてくると私は思います。
時代は変化しますが、自分も虎視眈々と動く必要があります。出来ることをやってみる。心理セラピーで触れ難きに触れておく。それらが実はキャリアだったことに気づくときがくると思います。
このお悩みの本質は「普通じゃないといけない」という深層心理です。私は収入ゼロの無職になったあと一部上場企業の正社員になりました。ま、意外となんでもありなんですよ。
引きこもりのデザイナーとか社長とか、ぼちぼち現れてきています。人間の本性をちょっぴり知っている私にとっては、そんなの当たり前です。
日常を楽しむ
できれば、平凡な日常を楽しみましょう。夏にスイカを食べたり、珈琲タイムなど、日常を楽しめるかどうかも重要です。
実はこれは、とても重要で、けっこう難しいことでもあります。
これは他人の尺度ではなく、自分にとっての幸せを知る感性です。
「仕事に遣り甲斐を見いだせない」深刻なケースの方をみると、遣り甲斐と言いながら、他人の尺度に包まれていることが多いです。
日常を楽しむというのは、心掛けるだけでは出来ません。心が育たないと。心の自由が解放されていないと、空想の世界にとんじゃうんですね。日常を楽しむというのは、いまここの現実を楽しむってことです。
やろうと思って出来ることではないので、出来たとききに、「あ、これが日常を楽しむってことか」と気づくのではないかなと思います。
でもこれも男性は苦手ですね。日常のなかの些細なことに「うわぁ♡」とか声をあげて喜ぶのって社会的に許されてないので。
男性がたわいのないことで喜ぶというと、趣味やコレクションというのがありますね。うーん、もちょっと平凡な日常がいいかな。
かつての東京中央線の文化みたいに、お金の稼げてない男性が「うーん、やっぱり珈琲はブルマンだなあ」と悦にひたるという図々しさは生きる力なのかもしれません。
昔会ったことがある若い社長さんは、ライスワークが平気でした。その方の会社は成功しました。
私は心理セラピーをしながら別のライスワークをするのが嫌でした。ライスワークをすると心理セラピストではなくなってしまうような気がしていたからです。ですが、心理セラピストであることに自信がついてくると、ライスワークが平気になってきました。また、性別越境に開き直ったこともライスワークを平気にしています。
働けなくなる深刻なケースの根底には、「自分は自分である」「存在できているか」というテーマもあるように思います。存在をとりもどすということですね。
引きこもりの人たちは、存在を否定されてきた人たちもいます。
仕事の遣り甲斐に悩む人たちにも、仕事の遣り甲斐に悩む人たちに対して怒る人たちにも、同じテーマが隠されているように感じます。