自己肯定感は高めるものではない

近年「自己肯定感」という言葉が流行っているようですね。いろんな意味で使われているようです。ここでは、心理セラピーで扱う自己肯定感を前提に書いてみます。

「俺は自己肯定感は大丈夫です。こうみえてプライド高いので、人から悪口言われたら、すぐ言い返します」

と言われいるのを聞いたことがありますが、これはありがちな誤解をよく表しています。

悪口を言われて言い返したくなるのは、自己肯定感が欠如しているからです。自己肯定感があれば、悪口に対して怖れも怒りもありません。

自己肯定とは、無条件に自分にOKを出せることをいいます。

他者から認められなくても傷つかないわけです。なので、自己肯定感があれば、悪口を言われても反射的に言い返す必要がありません。

ワークショップ参加者同士で褒め合うワークというのがありますが、あれは自己肯定感を高めているわけではなくて、自己肯定感の喪失を補っていると言えるでしょう。(アイスブレーカーや人間関係改善にはよいです。また、それがきっかけで自己肯定感が回復することはあるかもしれません)

「他者から褒められなくてもOK」なのが自己肯定感です。

「○○だから、あなたはOK」というような条件付きの称賛に頼る必要があるのは、自己肯定感に喪失が起きているからです。

「頭がいいから、私はOK」を支えにしていると、時代が変わって自分の知識が通用しなくなったりしたときに心が折れます。これが自己肯定感の喪失という心理的な問題です。

「高収入だから、私はOK」だと、実力や夢があっても環境を変える勇気は持てません。これも、自己肯定感の欠如という問題です。

失敗したとき、人から理解されないとき、劣る自分と向き合うとき、自己肯定感が試されます。

自己肯定感は「高める」ではなく「ある」または「感じられる」

自己肯定感というのはもともと自然にあるものと考えてみてはいかがでしょうか。生まれてきた赤ちゃんは、自己肯定感ゼロからスタートするわけではないでしょう。

本来あるはずの自己肯定感が否定されているわけです。「他者に勝って、いい大学に入って、大きな会社に勤めて、イケメンじゃないと価値がない人間ですよ」というような学習が起きているのが自己肯定感の喪失。

うつ病の方がこんなことを言いました。「人間の価値はお金(収入)できまると両親が言っています。はやく稼げるようになりたいと思います」。このようなものは「自己肯定感が育たなかった」というよりは、後天的な刷り込みと捉えた方が扱いやすいです。日本の社会全体がこの刷り込みに加担している可能性があるでしょう。

自己肯定感の回復の心理セラピー

自己肯定感の心理セラピーは、自分より頭のいい人が現れて、周囲より収入が低くて、いい人だと思われなくて、誰も褒めてくれなくても、苦しくまなくなることを目指します。

自分の良いところをみつけるのではなくて、良いところがなくても自分を苦しめない状態を回復します。

そういう意味では、「自己受容」という言葉の方が分かりやすいかもしれませんね。

褒めてもらって高めるのではなくて、その刷り込みを解消して自己肯定感を感じるようにします。

自己肯定感とプライド

「自己肯定感がある」のと「プライドが高い」は、どちらかというと真逆なのです。

プライドが高い人に条件付き称賛を与えると、一時的な安心を得るかもしれませんが、自己肯定感は育まれません。

プライドが高い人は、それゆえに頑張れているのかもしれません。

ボクシングの試合前は、自己肯定感を取り戻さない方がいいかもしれません。自己肯定感があると、負けても悔しくないので。試合に勝つには、自己肯定感が欠如していて、プライドが高いのがよいかもしれません。

しかし、自己肯定感は、人間関係、誰と仲良くなるかに大きく影響すると思います。

また、自己肯定感がないと、人の自己肯定感を育めません。なので、セラピストは自己肯定感がある方がよいです。つまり、優劣のプライドは高くない方がよさそうですね。(テンションが高いとか、悩みがないとか、雰囲気が明るいとかではないですよ。念のため) 

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