この世の不公平さと幸せ

生まれ落ちたところは宿命で、それは変えられない。

どのように人生が運ぶかは運命で、それは変えられる。

人生の運び、運命を変えるというのは、心理セラピーで深層心理のパターンを変えたり、愛着安定化をしたりするのも当てはまると思います。

アダルトチルドレンはそうでない人たちを羨むか

さて、たとえば、「気づいたときにはアダルトチルドレンになっちゃってた」とかいうのも宿命と言えるかもしれませんね。克服したとしても、そんなことに悩まされた半生は人生に影響していますし、克服するために半生を費やしてきたこと、得られなかったものがあること、なんていう過去や人生の現在地は変えられません。

アダルトチルドレンに限らず、トラウマとか、病気とか、人生のスタート頃から長期にわたるお悩みには、そういった問いがあるかもしれません。

非アダルトチルドレン、愛着安定な人、心に傷がなく幸せになりやすい人が、あたりまえのように幸せな人生を送っている・・・ように見える。

私はアダルトチルドレン等を克服して幸せになった人たちを見てきたのだけど、アダルトチルドレン等のスタートに生まれ落ちたということ自体は変えられない宿命ですよね。それは総じて、不幸な人生ってことになるのでしょうか?

これについては、いろんな前向きな意見があると思います。

「未来は変えられるからいいじゃん」とかね。と言っても、同じにはならないわけですよ。

「辛さがあったからこその成長や幸せもある」とかね。ポスト・トラウマ・グロースとかですね。それもあります。

ただ、その、非アダルトチルドレンな人と比べたときに、「自分だってああなってみたかった」っていう羨みはあると思います。

その羨みがあるのは、いい感性だなと思います。というのは、それを悲しめるのは克服のカギでもあるからです。

中途半端なポスト・トラウマ・グロース心掛けみたいなのは、ちょっと辛いですよね。「苦しい思いをしたから、人の痛みがわかります」みたいな・・・あ、私か。

いやいや、それは冗談。

それでもわりと幸せなサバイバー

私も宿命的な心身のトラブルで、失われた人生というものがあります。もし健全だったら、こうなってたかも・・・みたいな。たとえば結婚していたかも、とか。あの仕事ができてたかも、とか。

それなのになんでわりと幸せなんだろうか?

その答えは、その人ごとにあるんだと思います。たいていは似たようなことになるとしても、その人ごとだと思います。

私の場合は、どうやら、非アダルトチルドレンや愛着安定人生の友人ができることで幸せを感じているようです。

この景色はここに来た人にしか見えないかもしれません。

たとえば、HSPな私は非HSPが羨ましいというよりも、非HSPと仲良くなちゃうんですね。そして頼っちゃう。そうすることで、非HSPな世界も味わえちゃう。それは、HSPな私を受け入れる非HSPたちと出会うからでしょう。

それと似た感じで、自分と同じ傷跡を持たない人とも繋がれるようになって、「私たち」を生きることができるようになると、他人の幸せをもらうことができちゃう。

ワークショップに参加した人が、たいへんなものを抱えながらも、楽しそうに笑うときにも、それがあるように感じます。

私は「身体が女ではない」という苦しみをもっているのだけど、女子友達と一緒にいることで幸せを感じることができる。

私は男らしくもなれなかった。けど、男らしい人と一緒にいると満足する、うれしくなる。

プロゴルファーのタイガーウッズは対戦相手のボールがホールに近づくとき、心の中で「入れ!」と唱えているそうです。

私が女や男と一緒にいるのが好きなのは、自分が生まれつきの女ではないことや、男らしくないということに、恐れがないってことが関係あるのかもしれません。それは、こんな私を受け入れる人たちに恵まれているからでしょう。

そしてマイノリティーとも繋がっているのですから、泣くときは泣きますが、総じてわるくないですよね。

不公平さについては、神様に会ったときにぶん殴るつもりです。

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