「ムカつく相手はあなたのシャドウです」って本当?

心理現象の「シャドゥ」についておさらいです。

ここでは、自分の中に隠しているものが、他人に投影されてみえることくらいに考えます。

嫌いな人が全てシャドウなのではない

「嫌いな人はあなたのシャドウです」なんて説明があります。でも、正確には「嫌いな人はあなたのシャドウかもしれません」ってとこでしょう。

シャドウというのは、自分がやらないようにしている何かをしてしまっている人ってことです。「生きられなかった自分」なんて言い方もされますね。

たとえば、肩を揉んでくるセクハラ上司が嫌いなのは、セクハラが嫌だからであって、シャドウだからではないでしょう。

聴覚過敏の人にとって大声の人が苦手なのも、シャドウだからではないでしょう。

自分にちょっと似てるから苦手なのは、シャドウかもしれませんね。

自分と正反対である場合もあります。

影って、自分と似ていて、自分と反対ですものね。

簡単なシャドウの例

たとえば、「俺は強いぞ」というスタンスで生きている人は、弱そうな人を批判したり、変えたくなったりします。

その「弱そうな人」が、その人にとってのシャドゥです。

「俺は強いぞ」さんは、「俺は弱い」ということへの怖れを持っています。だから、強い自分を作って生きてきました。

簡単に言うと、「弱い」ということが怖いのです。「弱さ」恐怖症。

それは弱い自分をないことにするための努力です。「ないことにしている」というのは、心理では「抑圧」ともいいます。「ないことにしている」と「ない」は違いますが、本人は「ない」と思っています。

ないことにするために、弱い自分への否定・批判という力が深層心理(本人が自覚できない)にあります。「弱さ」を取り締まるポリスがいるんですね。

それが、あるので「弱そうな人」に対して否定・批判の反応が出てきます。

※行動レベルでは、なんだかマスク警察に似てますね。

さらに言うと、投影(深層心理にあるものが、見たものの解釈へ影響する)というものが働き、「弱そうな人(声が小さい、おとなしい、ケンカをかわない、慎重などなど)」が「弱い人」に見えます。

自分の弱さをを怖れている人が、自分の弱さを認めている人を罵倒するということも起こります。

「なんとか変えてやろう」と思って、追い詰めようとします。

しかし、弱さを認めている人は、自分の弱さを怖れていないので、根本的にはその脅しが効きません。

影を怖れるが影を手放せない

そして、弱い人を否定するくせに、自分より(立場が)弱い人(目下、接客者、新人など)を必要とします。

本当の「強い」人はそんなことはしませんが、「俺は強いぞ」さんは「弱さを怖れる人」ですから。

影はついてきますものね。光を当てるまで。

克服する人も「俺は強いぞ」さんのシャドウになる

心の悩みを克服する人は、人間の弱さを受容する感性をもつことになります。それは「弱くてもいいじゃん」のような態度を含みます。

そうすると、「俺は強いぞ」さんに絡まれることがあります。「弱そうな人」または「弱そうな人をゆるす人」として。

その他のシャドウ

「俺は強いぞ」さんの他にもいろいろあります。

「明るくなければいけない」さんのシャドウは「暗いやつ」、「努力すべき」さんのシャドウは「頑張らないやつ」、「苦しむことが正義だ」さんのシャドウは「気楽なやつ」、「几帳面にしなきゃ」さんのシャドウは「いい加減なやつ」などなど。

「暗さをまとってないと足をすくわれそう」さんのシャドウは「明るいやつ、バッカみたい」、「頑張ったら負け」さんのシャドウは「頑張ってるやつ」、「気楽なふりをしていないと生きていけない」さんのシャドウは「苦しそうにするやつ」、「いい加減に振舞うことでしか自由になれなかった」さんのシャドウは「几帳面なやつ」。

ただ明るい人が他人に「お前は暗いな」と批判することはありませんが、「明るくなければいけない」さんは他人に「お前は暗いな」と批判します。

もしそうなら、それは性格が明るいのではなくて、暗くなるのを怖れているのかもしれません。

あなたは何を怖れていますか?

シャドウワーク

シャドウに気づいてゆくことで、それはシャドウではなくなってゆきます。

影は光を当てると消えますもんね。

「俺が弱っちい人が嫌いなのは、自分が弱さを怖れているからだな」と気づくとか、あるいは他者視点で事実に触れてゆくこととか、そのようなワークは総じてシャドウワークと呼ばれます。

たとえば、相手の立場になってみるワークとか、相手にに対する嫌な気持ちを喋って録音して聞いてみるとか。

ただ、上に述べたように、嫌いな人が全てシャドウではありませんので、「シャドウかも?」とゆるく掴んでみないと始まりません。

克服のメリット

シャドウを克服すると、罪なき人たちを攻撃する必要がなくなります。他人事にエネルギーを消費することも減ります。

商売をされているなら、シャドウ攻撃ではなく、顧客ベネフィットに集中できるようになります。

また、振る舞いの選択肢が増えて、自分の生き方が自由になります。

つまり、人と喧嘩しにくくなり、自分を自由にしてくれるわけです。

ただし、克服は怖れとの闘いです。心理セラピストの助けを借りることもあります。

親への反感についても、シャドウである場合と、そうでない場合があるでしょう。ただ、いずれにしても他人より厄介です。シャドウワークは他人で入門するのがよいでしょう。

シャドウの克服は2つの闘い

シャドウは「生き残れなかった自分」と表現されますが、人が心の旅に挑戦するセラピー現場から言うと、「自分の中の怖れが、他人の見え方をつくっている」というのが当事者の体験に近いかと思います。

シャドゥを他人ごとではなく自分事として解決してゆくと、他人のシャドウの投影先になりやすくなるという側面もあるということになります。

遊びグループから抜け出して真面目になろうとすると、遊びグループの悪友からは嫌われます。「克服への旅立ち、おめでとう」とはなかなか言ってもらえません。(マイケルジャクソンの「Who’s Bad」のドラマ参照)

心の旅に挑戦すると、自分がつくりだすシャドゥと、他人がつくりだすシャドウと、両方と闘うことになります。

※当サイトのブログ記事は私見を含みます。また、全てのケースに当てはまるものではありません。ご自身の判断と責任においてご活用ください。

※当サイトの事例等は本質を損ねない範囲で合成・再構成によるフィクション化をしています。

- protected -