個人セッションはオンラインのみ、新規受付を再開します。

フォーカシングは身体指向ではない

とある先生が、フォーカシングは身体指向とはちがうんだがなあと言ったとか、言わなかったとか。

たしかに、フォーカシングは身体指向だというのは誤解のように思います。

また、別の先生は次のように言っています。

ここで「身体感覚」を強調しすぎると誤解を招くかもしれません。言うまでもないことですが、頭のはたらきや言語を否定しているのではありません。

私の実践イメージからの意見も書いてみます。

身体の感覚に注意を向けるというのは、良い実践の1つだけど、それはどちらかというとマインドフルネスの観点かと思います。その目的は脱フュージョン。

フォーカシングというのは、心で感じている何か(フェルトセンス)に注意を向けて、その意味とか、自分の本当の気持ちとか、内なるものに気づいてゆくみたいなこと。

そのフェルトセンスがたまたま身体感覚であることはあるかもしれません。

捉えがたきフェルトセンスを捉えうるもの(言語化できるとか)へとシフトするために、あの手この手の技法を使うわけです。

技法として「そのモヤモヤ(フェルトセンス)は身体のどの辺に感じますか?」なんて尋ねたりします。

なるほど、身体性を使ったワークではあるかもしれません。でも、身体指向ではないと思います。

ヨガのリラクゼーションみたいに自分の呼吸とか鼓動のような身体的な現実をスキャンしているのとは違うかと思います。もちろん、そのような技法と組み合わせることはあるかもしれません。

※また、カリブレーションと呼ばれる実践もここではフォーカシングとは区別します。

フォーカスする先は思考ではないよという意味で身体へのフォーカスが強調されるのかもしれません。思考ではないという意味で身体。でも、人間は思考と身体だけではありません。フェルトセンスもたぶんそうでしょう。

からだで感じられる違和感に注意を向けることや、「何か~の気がする」といった「気」のような微妙なレベルに注意を向けることも現象としてのフォーカシングです。

敢えて言うなら、フェルトセンスを身体に投影して捉えやすくしているのだと思います。身体感覚に気づくというよりは、身体感覚を創り出している表現療法と言えるかもしれません。

体験過程としては、たしかに身体的に感じる体験となることは多いです。

でも、「なにかに押しつぶされる」というように体外的なものとして感じられることもあります。

「カチカチカチと言っています」のように音や声のように表現する人もいます。

頭で考えたことではなく、感じるものを語ってもらうために、身体感覚を話題にするのは効果的ですが、あんまり身体に拘りすぎると上手くいかないこともあります。

心が感じる範囲というのは、もっと広いです。

心は思考ではありませんが、身体でもありませんから。これも私見ですけど。

フォーカシングで意識して扱う「フェルトセンス(感じられた感覚)」は、元々は「フェルト・ミーニング(感じられた意味)」と呼ばれていました。最近では「ボディセンス(身体感覚?)」と呼ぶ流儀もあるようです。

Follow Kojun on note.