第5回公認心理師試験の結果/振返り

重い腰を上げて受験した公認心理師試験の合格発表があったので、自分の気持ちに基づいて振り返ってみたいと思います。

試験の結果

Kojunの合格通知も届きました。

192点です。合格者の中の上位3%くらい。[1]プロロゴス分析データを基にした大まかな推定。

※合格しましたが登録手続きをしていないので、いまのところKojunは公認心理師ではありません。お間違えないように。

合格率は下がりました。やはり今回の試験の難易度は上がっていたようです。

資格登録

資格登録についてはゆっくり検討することにします。

「業務の適正化を図る」など、どのような制約を受けるのか未だ不明な点はありますので、クライアントのニーズに反しないか、様子をみているベテラン心理カウンセラーもいます。

国家が中立な立場から最低限のルールを定めて信用を与えるというだけならよいのですが、その実質が政治的な勢力や特定思想の支配になってしまうならば関わりたくないところです。

実際にこの資格制度の詳細を定める際にはかなり激しい政治的な攻防があったようです。資格制度化にあたり、公認心理師を特定の政治勢力の支配下としないよう尽力くださいました先生方には感謝します。

いまのところ、私の活動に相反するところはなさそうですし、登録しても大丈夫かもしれません。

公認心理師試験の好きなところ

よく考えられた問題

第5回は試験問題の質が良くなりました。暗記ではなく理解を試すように変わりました。

おかげで、理解したことしか覚えられない私は高得点になりました。

そして、政策で決められた業務設計の押し付けが少ない印象。つまりマニュアル暗記問題も減りました。

試験委員の先生たちが業界の将来を想いながら試験問題を作っているらしく、メッセージ性があります。出題の意図を推測する面白さがありました。

生物-心理-社会モデルが前提

日本では心理支援は医療の一部分でなければならないと考える医師も多いようですが、世界的には生物(医療等)-心理(カウンセリング等)-社会(福祉等)は異なる専門の連携とみなされています。

公認心理師試験もヒエラルキーではなく多職種連携を前提としています。(ヒエラルキー化しようとする政治的な圧力はかなりあるようですが)

ヒエラルキーが露骨でなければ、受診を勧めても嫌がるクライアントは減るのではないかと思うのですが。

ポイント更新ではない

資格更新制ではないことも良いと思います。

更新制とは、講習会などに参加してポイントを稼がないと資格更新できないというものです。

「更新制にしないと勉強しないだろう」という前提が情けないです。

私たちはそのようなエサや鞭(外発的動機づけ)がなくても勉強してきました。資格やポイント欲しさに勉強する人たちとは学びの質が違います。

※参考:熟達目標/遂行目標、アンダーマイニング効果

しかも、その勉強とは講座や研修のことです。当事者団体のイベント参加、裁判や施設の見学など、ボランティア(ひきこもり訪問、ホームレス支援、社会保護施設)、フィールドワークなどの生の人間に近づく活動、自主トレーニング、自主的な事例研究会、クライアントから学ぶことはとても勉強になりますが、更新ポイントにはなりません。地位のある「先生」から有料で習うことだけが勉強だと言わんばかりです。

ポイントがつくかどうかで参加する講座を選ぶような人たちにならないでほしいです。

また、トラウマや愛着を扱うセラピーなどは、ポイント欲しさに受講する人たちには習ってほしくないです。

公認心理師試験の嫌なところ

参入障壁が目的

公認心理師は心理支援ができる人を増やすための資格ではなくて、心理支援をする人を限定するため資格みたいになってしまっています。

法的には限定していないですが、心理師の利益を守るために資格制度があると思っている心理師もいます。

「無資格のカウンセラーのところに行くと危険だぞ」とか「これで偽物のカウンセラーを撲滅できる」などと言っている有資格者が目立ち始めました。

「有資格者はOK」と具体的に利点を言えないから、「無資格者はNG」になるのでしょう。

有資格者が無資格者をこれほど怖れる業界は珍しいでしょう。

また、臨床心理専攻の高学歴/有資格者にしか研修に参加させないというような動きも加速していて、「高学歴/有資格者しか心理支援は出来ない」という嘘が既成事実化されようとしています。

心理セラピーやカウンセリングなどを作ってきた開発者たち(C.ロジャーズ、F.パールズなど)は、公認心理師のために心理セラピーやカウンセリングを作ってきたわけではないでしょう。

心理セラピーやカウンセリングは、公認心理師のためのものではなくて、人類のためのものだと思います。

大学で高度な情報処理工学を学んだIT技術者が、「大学院卒じゃない技術者に仕事を発注するな」とか「資格制度を作って自称エンジニアを撲滅しよう」などと言わないのはなぜでしょうか?

その答えは本当でしょうか?

有資格者が活躍するために、無資格者を排除する必要があるということは、いかに心理職の有資格者の自信がないかを物語っているように思います。

他者を見下すことでしか感じられない自信は本当の自信ではないと、心理専門家ならわかるはず。

本来なら大学院卒の心理師はもっと自信をもってよいでしょう。

在り方が軽視される

資格の力が強すぎると、在り方が育たなくなってきているように思います。

心理職の在り方というのは、倫理規定とかのことではなくて、自分自身の心にどれくらい触れてきたかということ。

たとえば、自分が国家資格が欲しがる本当の理由(建前でなく)を自覚することもその一つでしょう。

在り方とは倫理規定のことだと勘違いしている専門家が増えました。心理職に在り方が問われるのは、その提供価値と直接に結びついているからです。このことは、医師に在り方が問われるのとは次元が異なります。医師に在り方が問われるのは、知識や権限を持つ者の責任や倫理という意味でしょう。医師の中核価値は知識ですが、心理職の中核価値は在り方でしょう。

「知識さえ暗記すれば心理師になれるんだよ」と対人支援業界に教えてしまったことは、公認心理師試験の負の面だと思います。

これは試験の出題方針が変わった(脱暗記型)ので改善されてゆくかもせれません。

そして、心理師界の将来は、無学なGルート(主に周辺分野出身)を撲滅できるかよりも、Aルート(大学・大学院での正規カリキュラム)の中で自身の在り方を耕す人が増えるか、にかかっていると思います。

大学権威主義と均一化

私のたくさんのカウンセリングを受けてきましたが、私を最も助けた心理カウンセラーは高卒でした。(専門教育を受けたかどうかはカウンセリングの質にあまり関係ないという研究データもあるそうです)

移行措置が終わると、公認心理師試験の受験資格は大学・大学院で心理学を学んだものに限られます。学歴パスポート主義です。

受験資格を大学ルートに限るのは危険なことだと思います。

公認心理師を規格品にするよりは、多様性がある方が全体の質が上がります。

海外には、社会人経験をしていない者にはカウンセリングを教えないという大学もあります。

ルート(受験資格の取り方)は幅広いほうがよいように思います。

というか、多様性を全体の質の向上につなげる(補い合ったり、教え合ったり、並列同時発展したり)ことが出来ないような人たちが心理の専門家になってもしかたないでしょう。

悪名高き他分野出身Gルートも何割かはいたほうがよいと思います。Aルートと同じことが出来ないという理由で排除するのではなく、Aルートの豊富な知識を使ってGルート各自が得意なことを見つける手伝いをしてほしいです。かつての臨床心理士の方々のように。

「俺と同じことをしてきた人しか認めない」とか「大学院卒しか認めない」って言ってる集団は、心理職として終わってます。

大学で情報処理を学んでいない者がアプリ開発をしても、大学卒のエンジニアたちが非難することはありません。「おもしろいね。よし、俺はもっと面白いものを開発するぞ」となるだけです。

「学位や資格を取るために苦労して勉強した人の質が高い」という意見もあるようですが、逆に「学位や資格を目的とした学びは質は低い」という実感もあります。

現場の必要に迫られて学ぶ実践者は、単位とか試験とかの外発的動機づけがなくても学んできました。大学で学んだ人には想像もできないらしいですけど。

内発的動機で学ぶということは、「何のために学ぶのか」をカリキュラムに与えてもらうのではなく、自分自身で持っているということでしょう。

大学院で学ぶ人たちもそうであってほしいと願います。与えられる課題や試験に追われても、それを見失わないでほしいと思います。

「何のために学ぶのか」が見つかれば、資格や学歴で仲間を差別する必要もないでしょう。多様な仲間が必要になるでしょう。

個性があるので、必要なときに必要な数を必要な仕事に配置することが可能になっているのです。このとき「個性が必要」とは、すなわち能力の高さを求めているわけではないのが面白いところです。

『働かないアリに意義がある』長谷川英祐

正解主義になるか・・・も

大学での教育も知識偏重がすでに問題となっているようです。そこで不足しているのは「実習」ではありません。

単にカリキュラムに「カウンセリング実習」「心理テスト実習」とか「インターン」を含めればよいというものではないでしょう。それではスキル&ナレッジの範囲を超えません。

全員でなくてもよいですが、社会人経験(その他の様々な経験)をもった心理専門家が心理師の中にいることが必要かと思います。これまでは、様々なバックグランドの心理カウンセラーや心理セラピストがいました。

大学に行ったことがない人がカウンセリングできないというのであれば、夜のお店で働いたことがない人もカウンセリングできないでしょう。

一方で、カウンセリングと称するアヤシイものはいくつか見学したことがあります。でもまあ、国家資格制度をつくっても、アヤシイものはなくならないと思います。排除された人たちがアヤシイ団体の栄養源になってしまうだけ。権威主義の階層構造を作ることは、それらのアヤシイ団体と本質は変わりません。

「正解を決めて、それ以外を駆除する」こそが闇の元ですから。

多様な心理支援があることを認め、多様な心理支援者を共存させるのがよいと思うのですが。

最も悲しいこと

なによりも悲しいのは、心理支援業界のそれぞれに善きを目指す側面が置き去りになり、競争して他を蹴落とす側面が活性化したことです。いえ、もともと足の引っ張り合いはしていたのですが、それが公的なものになったということです。

公認心理師という国家資格は、大学で学んだ人の苦労に報いるためにあるのでしょうか。

これから大学・大学院での公認心理師カリキュラムの中で、心理職に必須の心の旅ができるように整えられれば、そこで育った専門家は「学歴のない者はカウンセリングすべきでない」などとは言わなくなるでしょう。

かつての臨床心理士さんたちの多くがそうでしたから、それは可能なのではないかと期待します。

参考リンク

脚注[+]

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