心理セラピーをしていると、人の苦しみを扱います。小児期逆境体験、寂しさ、暴力被害、理不尽な体験などなどのエピソードもよく出てきます。対人支援の者が相談者お話を聞いたりしていて、しんどくなってしまうことを「もらっちゃう」と言います。
私は「もらっちゃう」がありません。
苦しみに共感はしますが、私が元気がなくなることはありません。セッションでエネルギーを使ってヘトヘトとに疲れることはありますが。
なぜ、もらっちゃわないのでしょうか。いろんな観点で考えてみたいと思います。
エンパスだから慣れてる
エンパスというのは共感能力が高い性質のことです。涙もろいとかではなくて、他者の感情を皮膚で感じ取ることがあるといった感じです。
人の悲しみや恐さも伝わってきます。ですが、エンパスにとってそれは日常的なことなので、慣れています。
私が聞いても、聞かなくても、この世には苦しみがあることを知っています。
苦しみにも、幸せに向かうための良質なものと、不幸なものがあります。
相談者は幸せになるため、自由になるために来ているのですから、それは良質なものと感じられます。
勇気ある相談者しか来ない
私の客層はちょっとニッチです。
提供しているサービスやブログの内容から、なにかを解決しようという、幸せになろうという気持ちのある人だけが相談に来ます。一番多いのは「自由になりたい」です。
それほど勇気のある人たちが、よくならないわけがない。毎回、そんな感じがします。
※「よくなる」とは疾患がなおることとは限りません。
心理支援を受ける人たちは弱い人たちだと世間の一部は思っているようですが、そうでもありません。
自分の内にあるもから目を逸らして、その代わりに人や自分を傷つけて生きる人たちもいます。自分に嘘をついて一生を終える人もいます。相談に来る人たちは、自分の内にあるものに触れてみようという人たちなので、どちらかというと勇気づけられます。
同業者からは「クライアントを信じる力がすごいですね」と言われます。それは自身がサバイバーだからかと思います。
克服事例を知っている
「もらっちゃう」人というのは、苦しんでいる人を見たときに「この人は幸せにならない」と思っているように思います。
私は心の悩みを克服した人たちを見てきました。ですから、「これはよくなる」という可能性が見えます。しかも、ご本人がそのために行動を起こしているわけですから。
また、克服しなかった人たちも見てきました。人が克服しないことを選んだ瞬間も見てきました。それは克服できなかったのではなくて、選んだのです。
その場合は、私にとってはあまり嬉しくありませんが、それも人の選択だと思います。それは克服よりももっと大事なことがあるということなのかもしれません。
克服した人たちも、克服しなかった人たちも見てきたことが、「もらっちゃう」がない理由かもしれません。
まだまだいろんな観点がありそうですが、今日はこれくらいにしておきます。