「殴りたくなる感情を大切にする」というのは、殴ることではないのです。

憎しみや怒りが止まらないというお悩み

憎しみ系のお悩みについて、ざっくりと結論を言ってしまうとこうです。

「殴るべからず」 そして、「殴りたくなる(その奥にある)感情を大切にせよ」

よろしくないのは、「怒っていない」と言いながら、殴る(陰口、意地悪、復讐を考える、裁きを望むも含む)こと。

(前略)こうした感情の体験を避けることが、結局はその感情をさらに増幅してしまい、ますます避けたくなるものにさせてしまうということです。つまりこれは悪循環になってしまうのです。

杉原保史『プロカウンセラーの共感の技術』p.73

そこで、感情解放のセラピーなんかでは「さあ怒りを出しましょう」なんてこともしますが、それが攻撃を意味すると捉えるとあまりよくないんです。

攻撃は必ずしも感情を大切にしない

「殴りたくなる感情を大切にする」というのは、殴ることではないです。

感情X → 殴りたい → 殴る

大事なのは、「殴る」ではなく「感情X」。

これが習得できないと、殴る(遠回しな手段を含む)か、感情Xを押し殺すか、どちらかになってしまいます。

「怒ることは悪いことだ」と信じている人は、攻撃的ですよ。直接殴らないですが、愛はない。親切しながら、攻撃的がつのります。「こんなに譲歩してやっているのに」と。それが「憎しみ」というものでしょうか。

「殴るべからず」 そして、「殴りたくなる、その奥にある感情を大切にせよ」

それができればセラピストいりませんか・・・。でも、人生の転機には、時に、人ってこの実践に挑戦するんですよね。

怒りと攻撃は別のもの

怒ることと、攻撃する(危害を加える)こととは、別のことなのです。

危害を加えたり、罪悪感を追わせたりしたいのは、怒りではなく、憎しみや怨み。

セラピー体験者は、本当の怒りとはどういうものかを知ります。

むしろ怒れない方が人を不幸に巻き込みます。

怒るということは、自分を大切にすること。それは人を大切にすることの前提。

セラピーや何らかの変容のプロセスを経たことがなければ、この文章の意味も分からないわけですが。

※当サイトの記事には実践経験に基づく意見や独自の経験的枠組みが含まれます。また、全てのケースに当てはまるものではありません。ご自身の判断と責任においてご活用ください。

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