赤ちゃんは、最初は「○○がない」という認知はしないそうです。「ミルクがない」ではなく「空腹だ」といった体験がある。
「ミルクがある」状況と、「空腹だ」は全く別のものとして体験されます。
ミルクが与えられる経験を積むことで、「空腹だ」が「ミルクがない」になってゆきます。
「求めよ、さらば与えられん」という経験から、「(空腹が)ある」から「(ミルクが)ない」へと赤ちゃんはの認識が育ちます。
ドーナツの穴は「ある」ではなく「ない」だと分かる、とでもいいましょうか。
大人のカウンセリングやセラピーでも同様のことが起こります。
「いじめられた」(ある)という体験は、癒しが進むことで、「味方がいなかった」(ない)と語られるようになってゆきます。
そうなれば、トラウマの克服は時間の問題といった感じがします。
LGBTQ差別にしても、「差別がある」という語りを超えて、「○○○が欲しい」と語られるとき、現実的な未来が見えてくるでしょう。