見知らぬ他人をどう感じるか
ちょっとした見知らぬ人とのやりとりが、厳しくされたように感じられる。断られただけで、叩きのめされたように感じる。などなど。
たしかにこの世は厳しいのかもしれない。人は冷たいのかもしれない。でも、捨てたもんでもないのかもしれない。
もしかしたらそれは、自分の中に厳しさを取り込んでいて、それが見知らぬ相手に投影されているのかもしれません。
もちろん冷たい人や厳しい人はいます。それが見知らぬ人(冷たいか厳しいか分かるはずもない人)にまで投影されるのは、自分の中にイメージがあるからなのかもしれません。
無害だけど無愛想な店員さんとか、問い合わせ先からの不親切な返事とか。
回復しかけの時期かもしれない
自分に不必要に厳しくするのを止めたあと、すなわち自分イジメのを克服したあと頃に、いじめっ子の幻想が現れたりします。
つまり、回復しかけているときに、そんな投影は起きるかも。
回復してくると、知ってる人についてはちゃんと現実が見えるようになってきます。
それに比べて、よく知らない人は、未だ投影先になりやすいでしょう。
克服プロセスでは、自分を責めない人と出会い、自分を責めなくなる。
そして自分を責める自分の影と出会います。というか、消去法で目立つようになるといいますか。
つまり、自分で自分を責めるのをやめたからこそ、誰かから責められてるような気がしてくる。
次に目指すのは‥
次に目指すのは、その影も自分を責めなくなること。
誰でも彼でも信じるお人好しになることを勧めているわけではありません。影を克服すれば、ほんとに責めてくる人はちゃんと区別できるでしょう。
人を責めるのを卒業してみる。
↓
あなたを責めない人に出会う。
↓
自分で自分を責めるを卒業。
↓
自分の影の投影に責められる(責められてるように感じる幻想)を卒業。
↓
本当にあなたを(理不尽に)責める人から離れることが出来る。
「責める」以外のバリエーションもある
「責める」以外のバリエーションもあります。冷たくする、見捨てる、馬鹿にする、期待しすぎる、抑えつける、命令するなどなど。
あなたが、されて嫌なことはなんですか?
ほんとにされてますか?
相手はそんなつもりですか? それとも噛み合っていないだけですか?
この世界が厳しく感じられるなら、自分の影を解いて、ほんとうの厳しさを見てみましょう。
ほんとうの厳しさは案外と爽やかなものだったりします。
影の投影が作り出す厳しさは、悲しみの置き土産かもしれません。