乗り越えるとき:「回避を手放す」よりも「自由を取り戻す」

抵抗と回避の意味

トラウマに関わる場所や物事を避けようとする症状を「回避」と呼びます。危険を避けるというよりも、危険じゃないのに避けちゃうってことですね。

また、同様に心理セラピーのプロセスに対しても回避反応が起きることがあります。

心理セラピーのプロセスには、一時的に抵抗を感じるかもしれないけど、それを乗り越えると善くなってゆくというものもあります。

あるいは直感に反するワークや、「やりたくないことをあえてやってみる」というワークを含むものもあります。「やりたくないこと」「避けていること」の中に解決の鍵がある場合ですね。

とくに、エクスポージャーやACTなどどでは、回避行動によって問題が維持されているとして、回避を克服して貰うことを重視します。これらは回避を真正面から扱うアプローチですね。

しかし、「回避をやめないとよくなりませんよ」と言われているようで、なんだか気が乗らないかもしれません。

そこで、そのようなアプローチでは様々なアナロジーとか振り返りとかをしてよくよく考えて貰ったりします。

同じような抵抗は感情や本当の気持ちに触れる心理セラピーでも起こります。それも、「心を開かないと上手くいきませんよ」なんて言われてもねえ、って思います。

「それをあえてやってもらうのだ」というセラピストもいますし、「なにかをやらせるなんてことはしません」というセラピストもいます。Kojunはノンバイナリー(両方が融合しているし、ある意味でどちらでもない)です。

これらの「回避」とか「抵抗」というものは、人の心のメカニズムであり、たしかに回復を妨げることがあります。

一方で、その「回避」や「抵抗」は本人が自分を守り、生き残るために身につけたものでもありますから、べつにそれが悪いと言っているのではありません。

なんでもかんでも「(避けていることを)あえてやってみる」をお勧めするわけではありませんが、ケースに依ってはそれが解決の鍵である場合もあります。

「回避を手放す」よりも「自由を取り戻す」

ですが、「回避を手放しましょう」と言われると、当事者としてはある種のしんどさがあります。

そこで背中を押すのがセラピストの仕事かというと、うーん、無理しないように注意するのがセラピストの仕事かもと思ったりもします。

「無理しない」というのは挑戦をやめちゃうことではありません。「無理するか、やめるか」ではなくて、「無理せずにやってみる」ですね。背中を押しているような押していないような。

一般的な専門家は「回避」にフォーカスしますが、Kojunは「回避」と表裏一体の「自由」という言葉を使います。

「回避を手放す」をクライアントのニーズに合わせて翻訳すると「自由になる」となります。

Kojunのクライアントには「回避を手放したい」というというニーズはありませんが、「自由になりたい」というニーズはあります。

つまり、クライアントは「回避している」のではなくて、トラウマ等によって「回避させられている」のです。

自由に回避を選んでいるのではなくて、選ばされています。不自由なのです。

「セラピストによって回避を手放すことをさせられる」という構図もまた、回避するという自由を奪われることになります。

ですから、「回避を手放さないと、回復しないよ」ではなくて、「自分を自由にしてあげよう」というようにプランを立てます。これらは支援者にとっては同じことにみえますが、当事者にとってはかなり違います。

セラピスト(またはセラピー手法)によって「自由を奪われる」のではなくて、セラピストとともに「自由を取り戻す」という世界観を手に入れるのがお勧めです。

その視点に立ってくれる心理セラピストを見つける、または心理セラピストをそのような視点に立たってもらうとよいかと思います。

※当サイトの記事には実践経験に基づく意見や独自の経験的枠組みが含まれます。また、全てのケースに当てはまるものではありません。ご自身の判断と責任においてご活用ください。

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