「呼吸」と「身体」

トラウマを扱う専門家の中には人の心もまた脳で起きていることだから唯物論的に扱う(心の問題もモノの修理のように解決する)のが正しいと考える人がいます。また、逆に心理専門家の中には「人の心はモノじゃないぞ」っと物理化学や生物学を毛嫌いする唯心論的な人もいます。

私は心を重視する立場ですが、唯心論者でも唯物論者でもありません。情報科学者がハードウェアを否定しないように。

心の悩みの当事者はというと、「なんで自分は生きているんだろう」「自分というちっぽけな存在、されど存在」「苦しみってなんだろう」というような哲学的な問いに対して、地に足をつけてみたい気持ちになったりもします。そこで安易な唯心論や唯物論に走らず、物質と精神を統合することは役に立つように思います。

普段は生き様や自己受容のような実在的な意味での「存在」を扱っているのですが、ここでは物質的な面をみてみようと思います。心の悩みの当事者が自分や人間という存在の神秘に触れるために、化学的な視点で人体を捉えてみます。この記事だけを読んで、「こいつは唯物論者だ」と決めつけないでください。

今回は心の話はわきに置きますが、唯心論(精神だけがある)でもなく唯物論(物質だけがある)でもない立場です。

話を入門的に単純化して、私たちの身体について、人間存在への関心を持ちながら化学的な視点で眺めてみたいと思います。

エネルギー(呼吸)

リラクゼーションなどあらゆる心理技術の基本として呼吸法があります。マインドフルネスでも呼吸を意識したりします。そのように、私たちが自分と出会う方法でもある呼吸ですが、もともと私たちの生命に最も重要な栄養素である酸素を取り入れるためのものです。

でも、不思議ですね。呼吸は酸素(O2)を取り入れて、二酸化炭素(CO2)を排出しています。酸素原子は出たり入ったりしていますが、炭素原子は出ていく一方です。

その炭素原子はどこから来るのかというと、きっと食べ物から来るに違いありません。

私たちが考えたり動いたりするにはエネルギーを使います。

エネルギーは酸化(燃焼)とか言われるような化学変化によって生じます。単純化して言えば、私たちは食べ物を燃やしてエネルギーを作っているのです。ある意味では機関車のように。

その食べ物には炭素原子が含まれているに違いありません。機関車の場合は薪ですが、私たちの食べ物としては炭水化物(炭素と水素と酸素の化合物)です。それを消化、分解するとDグルコースなどの糖になるそうですが、ここでは単純化して、ご飯を食べているときにはDグルコース(C₆H₁₂O₆)という分子(実際にはそれらが複数結合したもの)を食べていると考えてみましょう。

C₆H₁₂O₆ を燃やして COを吐き出すには、O2 を加える必要があります。お釣りとして H2O も生成されますが。

※燃やすと言っても熱エネルギーにするわけではなく、実際にはエネルギーはATPという物質にチャージされるようです。

※脂質は炭水化物と区別されていますが、酸化(燃焼)によってエネルギーを取り出すという意味では同じです。

このように考えると、蒸気機関車も「呼吸する者」であり、もっとも単純な「呼吸する者」は蝋燭の炎かもしれません。

ちなみに、この酸素という恵みは植物の光合成のおかげです。光合成は太陽光を用いて、呼吸とは逆の化学プロセスを実現してくれています。そのおかげで地球上は宇宙で稀に見る酸素だらけ世界となっているわけです。私たちは植物によって届けられた太陽を呼吸しているのですね。

物質(身体)

マインドフルネスやゲシュタルト療法などで「いまここ」という意識があります。そのコツは身体に意識を向けることです。心理技術で扱うのは身体感覚であって、身体そのものではないのですが、しかし心理実践においても身体は私たちに大事なことを教えてくれます。というか、真実は身体と共にあったりします。

心理実践を行う者としては、身体が奇跡の産物であるということは知っておいて損はないでしょう。でも、その奇跡ってどのように?

私の身体は水

体重の約 60%が水分ということを知ると、なんだか自分は人間の形をした水のようにもイメージできます。私たちは地球の地表と同じ、「水を多く含む者」です。

そして、水は飲むことで世界から共有されています。

私の身体はタンパク質

他に体を構成する物質は、約 15%のタンパク 質、約 15%の脂質、ミネラル(Na、Mg、K、Caなどなど)などです。脂質はエネルギーを担うのが主なので、ここではタンパク質に注目してみましょう。

タンパク質というと筋肉を思い浮かべるかもしれませんが、筋肉だけでなく皮膚、臓器、赤血球など身体組織の構成要素です。

自分の身体がタンパク質で出来ていることをイメージしてみたいと思います。世界から共有されているのは、その材料である必須アミノ酸(R-CH(NH2)COOH、Rの違いにより20種類)です。

アミノ酸を提供する食べ物は他の生物のタンパク質です。他の生物の身体を分解して自分の身体の材料にしています。アミノ酸に注目すると、他の生命を頂いていることが具体的に見えてきます。

心の状態に影響する脳の神経伝達物質(ドーパミン、ノルアドレナリン、セロトニン)もアミノ酸からつくられます。

まとめ

身体は、水という柔軟なものと、タンパク質という綿密に設計されたものと、エネルギーで出来ているということでしょうか。

「水とたんぱく質」は、主な元素言えば「酸素と炭素」と言い換えることができます。体重の6割が酸素原子で、2割が炭素原子です。

「流れる性質と、固まる性質」と捉えると、禅語の「青山もとより不動、白雲町おのずから去来す」を思わせます。

そして、地球から酸素、水、生物からアミノ酸を提供されることを必然としています。

身体を化学の観点で捉えることは、人間を機械とみなすことで心を無視するになるでしょうか? 私は唯物論(モノしかない)的になるどころか、その神秘が浮かび上がってくるように思います。

心理技術でも「あるがまま」に観察するということが重視されています。意味づけされ過ぎた世界や自分を、一旦ただの現象として眺めてみることで、苦しみの本質に触れたり、新たな意味を構成したりできるのだと思います。

私自身は心の問題を抱えていた頃には、身体が物質として存在するという側面を軽視していました。それで心を重視しているつもりになっていました。ところが、心の問題が解消したりトラウマが回復してくる過程で、「あ、私には肉体がある」「おー、肉さんありがとう」という不思議な実感、気づきがありました。

病んでいる人ほど、身体を単なるモノと捉えていて、物質面に目を向けることで唯物論となってしまうことを怖れるのかもしれません。

食べることや呼吸することの生命体としての意味、命を頂くという必然を理解して生活している心理カウンセラーが、なんとなく食事をして面談している心理カウンセラーより心の専門性が劣るとは思えません。

参考

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