無秩序型の愛着パターンから大人をみる

子どもの愛着パターンの中に無秩序型というのがありますね。

私は大人向けの心理相談をしていますので、別の類型で愛着スタイルというのをみているのですが、ちょっと気になりまして。

幼児のことはさておき、思春期や青年期などの子が無秩序型とも似た様子を示すという話を聞いたりしたとき、ふと思うのです。

回避型やアンビバレント型などは、なんでそうなるのかについて内面を記述的に了解できます。諦めてしまって愛を求めないとか、失うことの恐怖から過剰に求め続けるとか、ですね。

無秩序型というのは、反応戦略が定まらず、かといって追い詰められてはいるので、それこそランダムに反応してしまうということが想像できなくはないです。ですが、どちらかというと「無秩序」というのはいっそう観察者視点の言葉だなと思います。

大人の観察や、大人になりかけの思春期の青年に接する人たちの話を聞いていると、どうもそれは「無秩序」というよりは、「無秩序に見える」ということなのではないかと思います。

つまり、反応には理由があるのだけど、それが些細なことであったりするので観察者には理由がわからないってこと。

ほんとうは無秩序ではないのではないかって思います。

これは幼児の愛着パターンの話というよりは、大人になって無秩序性を残す様態とか、あるいは克服するときになにが必要かっていう視点かもしれません。

無秩序型は英語では「disorganized」です。パターンが構成されていないってことですね。

青年や大人で不安定な人というのは、自分の反応パターンを構成しようと挑戦しているようにも見えます。

青年や大人になってくると、些細なきっかけのみならず、過去の体験の記憶も関与してくるので、他者が理解するのはますます困難になります。ですが、そこにはその人なりの反応の理由があって、それを了解してゆくことが癒しへとつながるのではないかと思います。

そういう意味では無秩序と呼ばないほうがよいのかも。実は見えないところで構成が育っていて、「隠された秩序」にまで成長しているのかもしれません。

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