敵でも味方でもないものを大切にする

お悩みを抱えている人はなんらかのマイノリティ性をもっています。それは世間的に良しとされないなにかです。「出来るはずのことが出来ない」「弱い」「劣る」などです。

それに対する人の反応は次のように見てみましょう。

  • 「叩く人」
  • 「疑似味方」
  • 「味方」

「叩く人」の心理は、あなたに不快を与えることであなたを変えよう(または、排除しよう)とするものです。

「疑似味方」は、本人は味方のつもりでも味方になっていない場合です。

たとえば、セクシャルマイノリティであることを告げると「大丈夫よ。きっと治るから」と言っていたような人たちが「疑似味方」です。「寄り添わない味方」と言ってもよいでしょう。

で、「味方」はセクシャルマイノリティであることを否定しなかった人たちです。価値観や意思決定が当事者本人に基づいています。

もっとも有難い存在は「味方」でしょう。これを見極めて大切にする必要があります。

ですが、次に大切なのは「疑似味方」です。

これはあなたを傷つけますし、あなたのニーズには十分応えません。ですが、これを「敵」とするか「資源(リソース)」とするかはあなた次第なのです。

「疑似味方」は「味方」ではないことを承知したうえで、社会資源として活用する視点をお勧めします。

「味方」は少し依存ができます。一つの依存先に絞るとよろしくないですが、適度に分散した依存は人間には必要です。

「疑似味方」は、依存できないけど活用出来る可能性があります。

「疑似味方」は「味方」ではないと知ったならば、まずまずです。次のステージは、それを叩かずに済むにはどうすればよいか考えてみます。

それを「敵」にすることなく、「敵」でも「味方」でもないものにしてゆきます。できる範囲でです。

これを聞いて頭に血がのぼるとしたら、まずは「味方」から安心をもらうことで「疑似味方を怖れない」を目指しましょう。

ピンときたらご参考に。ピンとこなければ、ひとまず忘れてください。

※当サイトの記事には実践経験に基づく意見や独自の経験的枠組みが含まれます。また、全てのケースに当てはまるものではありません。ご自身の判断と責任においてご活用ください。

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