ACのための安心基地の探し方

ACと安心基地

ACや愛着障害などの克服には、心の中に安心を育てる必要があります。それは心の中に育つものですが、環境や他者といった外なる安心・安全な存在と出会うことで取り戻してゆきます。

愛着障害が思い当たるクライアントの多くが、それ以外の問題も抱えています。たとえば、自己肯定感の欠如とか、対人不安とか。

どこを最初のターゲットをして心理セラピーを行うかは、ケース次第となります。しかし、いずれにしても安心基地を見つけてゆくことは必要になることが多いです。

すべての人に当てはまるとは限りませんが、クライアントさんたちはこんなだいたい感じというのを書いてみたいと思います。

安心基地はどこにあるのか

最終的にはご本人の内側にあるものなのですが、それを育てるまえの外なる安心・安全な存在はどこで得られるのでしょうか? 子供であれば養育者や周囲の大人ということになりますが、大人の場合ですね。

仮想的なもの

ある意味でこれが一番難しいのですが、心理セラピーのイメージワークや、AC向けワークショップで行うロールプレイのようなフィクション的な体験です。

ロールプレイなどでは、それはある種の演技であることは承知のうえで行います。また、ぬいぐるみなどを使ってそのプロセスを試みる人もいます。

ある意味では、リアルな存在ではないことが安全を保っているともいえます。

成功すればするほど、それはリアルな存在ではなくなってゆきます。それを恐ろしいと思うか、安心と思うか、それも変わってゆくでしょう。

疑似親

カウンセラーやセラピストなどが親身に接してくれることで得られるものです。これも、疑似であることをどこかで承知しておく必要があります。

しかし、そこで注がれる愛着は疑似だけれでも嘘でもない、ある意味では真実なものです。

ここで目指すのは、悪い意味での依存とならず、自立が促される甘えです。

現実的な味方

この段階となると、人間関係が作られてゆきます。ここで出会う味方は、しょせん他人でもあるが、ありがたい味方でもある。まあ、ふつうの友達や親切な知人です。

過剰な期待をすることもなく、でも安心・安全を受け取ります。

これは好循環のように増えてゆきます。疑似親が探索基地となり、安心・安全な人と出会えるようにしてくれます。その人たちが探索基地となり、安全な人と出会えるようにしてくれます。そして、ときどき傷つくけど概ねよい友達というのも持てるようになります。

私はこの循環の出発点になる仮想イメージや疑似親を愛着資本と呼んでいます。

はれもの扱いでは足りない

ところで、安心基地というと、優しくてきついことを言わない人をイメージするかもしれません。

攻撃的なことを言う人は必要ありませんが、直面化についてはその限りではありません。

直面化というのは、現実的なことを言うということです。

たとえば、カウンセラーというのは「あなたは自分に嘘をついていますね」とか「あなたは逃げてますね」などということは、たとえ当たっていたとしても言わないのが普通です。クライアントが傷ついちゃいますからね。

ところが、私なんかがオネエキャラで「あんだ自分に嘘をついてるよ」とか言うと、待ってましたとばかりに喜ばれることがあります。まあ、オネエキャラじゃなくてもいいんですけど、想像しやすいように。

このような直面化で人が傷つくのは、「嘘をついている、だから悪い」「逃げている、だから悪い」という裁きの意味合いが前提になっているからなんですね。

「嘘つくのは必要なこと」とか「逃げちゃえ、あはは」みたいな存在だと、直面化はそんなに恐くない。

いや、なかなかそうはならないですけど、でもあり得ることなんですね。

「逃げてるじゃーん」って言っても恐怖を感じない、傷つかない、それが実は深い安心基地なんです。

愛着安定化とか、当事者グループの人薬とかで人が回復してゆくのは、実はそういう深い安心・安全で底を蹴ったときなんだと思います。

ウツで休職している当事者たちが、「おれたち経済的損失らしいからね」と笑えるような環境を得て、回復したりします。「静かに休養させてあげているのに、なんて不謹慎な」とか言われないってことですね。

ACに必要な安心・安全というのも、はれもの扱いを超えたところにあるように思います。

つまり「ダメじゃん」って言われない場所・人よりも、「ダメじゃん」って言われても傷つかない場所・人を探してみるってことです。それが本当の安心基地かもしれませんよ。

そんなのいるわけないと怒るか、考えてみるかはあなたの自由。

その安心基地は、名物和尚さんかもしれないし、インコやぬいぐるみかもしれません。カウンセラー探しのヒントにもなるかも。

まだ出会ったことがないかもしれませんが。

もしそのタイミングなら、安心基地を探すとき、なにも言われない安全な場も、なにか言われても安心な場も、探してみるとよいかもしれません。それは外に探すだけでなく、同時に自分の中の安心を探す作業になるかと思います。

※当サイトの記事には実践経験に基づく意見や独自の経験的枠組みが含まれます。また、全てのケースに当てはまるものではありません。ご自身の判断と責任においてご活用ください。

※当サイトの事例等は事実に基づいてはいますが複数のケースや情報を参考に一般化して再構成、フィクション化した説明目的の仮想事例です。

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