ゲシュタルトは、ドイツ語で「形」「全体像」を意味する言葉です。心理学では、人は物事をばらばらの部分の寄せ集めとしてではなく、意味のあるまとまり(全体)として知覚するという考え方を指します。
ゲシュタルト療法やゲシュタルト心理学の「ゲシュタルト」を理系(AI情報科学)の観点で説明してみたいと思います。
※言葉の定義や用法は正確さよりも分かりやすさを優先しています。
パターン認識としてのゲシュタルト
ゲシュタルト心理学は、20世紀初頭にヴェルトハイマー、コフカ、ケーラーらが提唱した知覚の理論です。近接・類似・閉合といった「まとまりの法則」により、私たちが点や線を図形として見るしくみを説明しました。
ここで言う「図形」を「数字文字」に置き換えてみましょう。私たちが「6」「8」「9」を見分けるのは、丸がいくつあるか、丸が上下どちらにあるか、などを見ていると言えるでしょう。つまり、「9」というゲシュタルトを見ているわけです。
郵便局で手書きの郵便番号を文字認識して仕分ける郵便区分機も同じことをしています。カメラに映った筆跡から、「9」っぽさ(丸が一つ上の方にある等)を抽出しています。つまり、郵便区分機はゲシュタルト認識マシンなのです。
AIや工学の分野では、このゲシュタルトとして抽出される情報(データ)を「特徴量(または、特徴ベクトル)」と言います。カメラに映った筆跡は工学的には「入力データ」ですが、哲学では「現象」、心理学では「感覚刺激」が相当します。
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□□■■■■■□ → 「9」
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現象(感覚刺激) → ゲシュタルト
施設窓口にあるマイナンバーカードの顔認証も同様に、顔写真画像から顔の特徴量(あなたっぽさ)を抽出します。以前撮影した顔写真と今撮影した顔写真をピクセル同士で比較しても殆ど重なりませんが、特徴量同士を比較すると一致します。
郵便区分機は、筆跡画像から特徴量のみを取り出して、他の情報を捨てます。ですから、「9」というゲシュタルト情報から元の筆跡を再現することは出来ません。情報量としては、現象(画像データ)>ゲシュタルト(文字コード)です。
ゲシュタルトは「全体」と説明されるので、大きなもの(多量の情報)という印象があるかもしれませんが、理数的には小さいデータであることが本質です。
ゲシュタルトは小さい。「小説」よりも「あらすじ」のほうが情報量は小さいですよね。
「全体」といっても、ひたすら情報を増やすビッグデータのことではなさそうです。
日常の中のゲシュタルト
たとえば、「今日は晴れだ」は風景の全体から抽出されたゲシュタルトです。目の前の人物が「Aさんだ」というのも網膜像から抽出されたゲシュタルトです。「Aさんは不機嫌そうだ」というのも、Aさんの表情、仕草、目線、口調などの全体から抽出されたゲシュタルトです。
ロープが落ちてきたときに、「蛇かもしれないっ」と思うときもゲシュタルトを見ています。「あいつはいけすかない奴だ」も「うちの旦那はいつも・・・・」もゲシュタルトを見ています。
マインドフルネスは、ゲシュタルトを手放して、あるがままの現象を見る実践です。落ちてきたロープを、「蛇っぽいもの」ではなく、「細長い曲線状のもの」としてみます。まあ、細長いとか曲線もすでにゲシュタルトなんですが、「蛇っぽいもの」よりは、かなり現象(入力データ)に近いですよね。
哲学では判断や解釈というゲシュタルトを保留することを「エポケー」と言うそうです。
ゲシュタルト心理学
ウサギにもアヒルにも見える「ダック・ラビット」という絵画があります。

画像出典:Jastrow, J. (1899). The mind’s eye. Popular Science Monthly, 54, 299-312. (Public Domain)
絵画そのものが「現象」です。そこから人は「ウサギ」または「アヒル」というゲシュタルトを抽出します。ゲシュタルトを選び直すには、いったん「現象」へ意識を戻す必要があるでしょう。つまり、もう一度絵画を見る必要があります。もう一度絵画を見ることなく、「それはアヒルかもしれませんよ」とか「それをアヒルとして見てください」と言ってもゲシュタルトを選び直すことは難しいでしょう。
もっとシンプルな例としては、壺にも二人の横顔にも見える「ルビンのツボ」という絵画もあります。

これも同様です。これのゲシュタルトの選び直しは「図地反転」と呼ばれます。
実は、現象とゲシュタルト(特徴)は相対的であり、認識というのは層構造になっています。
現象(入力データ) → ゲシュタルト1(入力データの特徴) → ゲシュタルト2(ゲシュタルト1の特徴) → ・・・
郵便区分機の場合は・・・
筆跡 → 線の集まり → 丸や直線や曲線 → 丸や線の配置 → どの数字っぽいか
ただ、「壺に見え始めると、細部も壺の一部のように見える」というように、層を逆流するような影響もあるようです。
ゲシュタルト療法って何だろう
となると、ゲシュタルト療法とは、理系的には次のようなものと解されるかもしれません。
悩みや問題はゲシュタルトの影響を受けている。たとえば、「あいつは私を馬鹿にしている」「それに対して私は怒りが収まらない」。
そこで「あいつは私を馬鹿にしている」を一旦「現象」へと戻します。実際に過去の場面に戻ることは出来ないので、イメージワークでイメージ化したり、演劇風に再現したりします。そして、眺める方向を変えてみたり、ストップモーションにしてみたり、誰かの意見を聞いてみたりして、様々なゲシュタルトが現れる機会を作りだすことができます。
「それに対して私は怒りが収まらない」については、その怒りを身体感覚への気づきや動作表現として「現象」化します。そして、別のゲシュタルト、たとえば「私は馬鹿にされるのを恐がっている」などに触れてゆきます。
さらに、相手と私の両方を含む現象全体を眺めて、「これは怖れのキャッチボールだ」などのゲシュタルトが認識されるかもしれません。
あるいは逆に、ゲシュタルトに対して無自覚である場合には、「私はどんなゲシュタルトを見ているだろうか」と探求してゆくことも考えられます。
また、心理療法では、ゲシュタルトの層の逆流も使っているように思います。
ともかく・・・
現象(入力データ、いまここ体験) → 郵便区分機 → 認識されるゲシュタルト
この流れをなんとかしようとしているのがゲシュタルト療法なのではないかしら。
となると、ゲシュタルト療法とは特定の手順のことではなくて、セラピストの視座のこととなります。
ゲシュタルト療法が大切にしていることの一つに「気づき」があります。そして気づきを促すエクセサイズなどがあったりします。その目的は2つありそうです。
- 現象(入力データ)を見るということ(既存のゲシュタルトを手放す)
- 現象からゲシュタルトを発見すること(新しいゲシュタルトを獲得する)
セラピスト(ファシリテーター)は、これらを区別して場を観察しているか。ただ、セラピストも直感(名前のつかないアドホックなゲシュタルト)を頼りにファシリテートしますから、常に説明可能なわけでもないでしょう。
