セラピストから「あなたは感情を感じるのが苦手ね」「あなたは思考優位だから上手くいかない」と言われる

セラピストから「あなたは感情を感じるのが苦手ね」と言われて、「そーだなー」と思う人と、違和感を持つ人といるかと思います。

なぜセラピストはそんなことを言うのか

心理セラピストにしても、カウンセリングっぽいコーチングにしても、心の治療者の類はたいてい、「感情に触れたとき、変容プロセスが起きる(または、悩みが解消する)」ことが多いということを知っています。経験則だったり、心理療法のテキストに書いてあったり。

そこで、支援対象者に感情に触れさせようと促します。そして、上手くいかないとき、「自分が下手なのではなく、この対象者が難しいのだ」という宣言をしたくなり、つい、「感情に触れるのが苦手ですね」などと言ってしまうのです。多くの場合、対象者は納得して、感情を探求し始めたりもします。

ちょっと問題だと思うのは、「あなたは思考型だから」と付け足してしまう場合です。臨床家の間でも「思考型のクライアントさん」なんて言葉が聞かれます。つまり、思考優位であることが感情に触れることを困難にしているという考えです。その考えが、とっても思考優位なんですが。その考えが当てはまらない場合があります。

思考が感情に触れることを邪魔する場合

思考が感情を妨げている場合も、あることはあります。

たとえば、恐いという感情を持っている人が、一生懸命に恐くない理由を説明しているとき。

たとえば怒りを感じ始めたひとが、「彼にも事情があるのだろう」などと言うことで怒りを止めている場合。感情に触れたくないから、先回りして(実は後まわりなのですが)その感情が起きないように思考を使っている。

私は代理思考(感情の代わりに現れる思考)と呼んでいます。感情が生み出した思考、感情に対処するための思考とも言えます。

そのような場合は、思考が感情に気づくことを邪魔をしている、とも言えます。まあ抑圧の一種でしょうか。

ただ、そんな人に「思考を使って抑圧するのはやめましょう」と勧めるのは、ちょっと雑な気がします。抑圧する必要があるくらい厄介な感情なのですから、それを檻から出すまえに準備が必要でしょう。

で、多くのセラピストの類は、このモデルを当てはめます。「思考が感情を邪魔する」「思考優位だから感情に触れられない」と見立ててしまうのです。これが多くの対象者/当事者を苦しめてきました。

「あなたは思考優位だからね」「ほらまた思考を使っている」などと言われて、違和感を感じる人も多いのではないでしょうか。

単に「感情」という概念を知らなかっただけの場合

「その上司に嫌味を言われたとき、どのような感情がありましたか?」と尋ねると、多くの人は「人のこと言えるのか」「その嫌味は的外れだ」とか思考(感情的な思考)を答えます。「それは思考です。感情とは、腹が立ったのか、悲しかったのか等のことです」と説明すると、すぐに理解して感情を探索します。

このような場合は、単に「感情」の意味を知らなかっただけです。思考が感情を邪魔しているとか、思考優位だとか見立てるのは的外れかと思います。

ただ、「感情」の意味がなかなか分からない人はいます。これは内省、内観、今ここの自分について語ることに慣れていないことが関係あるかもしれません。ですので、「いま息を吸ってますか、それとも吐いていますか」「いま声のトーンが上がっているのに気づきますか」というような質問から練習を始めます。

「情動」しかない場合

ここからが重要です。

うーん、これはどう説明しましょうか。まず、「情動」というのは危険などに直面して反射的に起きる神経や身体の反応のことです。動物的な感じですね。「情動」が本人ち感知されて意味づけされたりされることで「感情」になります。(学説や定義はいろいろあるようですが、Kojunはそのように捉えることにします)

とくに過去のトラウマ的場面、幼少期の原体験を振り返ってもらう心理セラピーなどで、感情が出てこないことがあります。心理セラピストは、抑圧かな、麻痺かな、解離かな、シャットダウン(低覚醒)かななどと考えるのですが、感じないようにしているというよりは、そもそも感情がない(感情が完成していない)場合があるのではないかと思います。

たとえば、あなたが満員電車の中でハイヒールで足を踏まれたときのことを思い出してください。「ギャーッ」となっているその場面をありありと思う浮かべて、「あなたにはどんな感情がありますか?」と尋ねられても、その瞬間には感情は無かったりしませんか? 叫んだり、押したり激しいリアクションをしていますから、「情動」はあります。過覚醒という情動です。危険に対して激しく反応しています。で、なんとか少し思考が働いて、やっと怒ることができるのではないでしょうか。

「ギャー」の瞬間に没入するほど、感情について答えられません。たぶん、まだ感情が完成していないのでしょう。そこでセラピストが「感情は? そのときの気持ちは?」と尋ねると、「足に穴があくーっ」とか「はやくどけーっ」とかいう言葉が出てきます。当事者体験の薄いセラピストは「それは思考ですね」なんて言ってしまうのですが、その対象者は思考型人間だからではなく、没入ワークが上手くできているからそうなるのだと思います。

その時のことを思い出して半分は没入しながら、半分は今ここのカウンセリングルームにいる、二重意識状態なら、感情が出るかもしれません。あるいは、没入から少し抜けて、「思い出してみて、今の感情は?」と尋ねたら、「イヤホンなんかしやがって、腹が立つー」とか「もう電車乗るの恐いです」のようなトラウマ化した感情が出て来るかもしれません。つまり、その「ギャー」瞬間にはまだ情動しかなくて、その出来事の後しばらくして、もしくは今ここで、感情がやっと作られるのです。

先の例「その上司に嫌味を言われたとき」などのように、その出来事のときに既に感情があった場合もあります。しかし、トラウマ的な体験の場合は、その当時には、感情などという贅沢なものは未だ無かった、ということがあるのだと思います。そのような場合は、心理セラピーやカウンセリングの中で、思考を使ったり、安全を感じたりしながら、丁寧に感情を作っていくのだと思います。「思考優位だからセラピーが進まない」などと言わないほうがよいです。

満員電車の中のハイヒールの例を挙げましたが、暴力を受けた場合もそうでしょう。押し倒されて手首をつかまれて、もみ合って、手首の掴み合戦になっているようなときも、感情などという贅沢なものはないかもしれません。全力で闘争したり、全力で逃げようとしたり、泣いたり、力が抜けたりしています。まだ、怒りを使って心や体を守るか、恐怖を使って逃げるか、シャットダウンして隠れるか、諦めて悲しむか、決まっていなかったのでしょう。

後になって、「卑怯だぞ」という思考が働いてから怒れたり、「ここは安全」と思えてから恐さを抱えることができたり、「理不尽だな」という思考が働いて悲しむことができたりします。ですから、思考は感情のために重要なものです。

「恐いという感情」と「危険を感じているという情動」は近いようには思います。しかし、「そのときの感情は?」と尋ねられて恐さを感じられないのは、思考か何かが抑圧しているというよりは、恐さを出せる準備ができていないと言えるのではないでしょうか。

まとめ

心理セラピストに「その時の感情は?」と尋ねられたとき、混乱するなら、その時既に感情はあったのか、その後に感情が作られたのか、それともこれから感情を手に入れるのか、様々な可能性があるかもしれません。

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