心の問題は意外と回復する
心の問題は回復できないと思い込んでいる人はけっこういます。恐怖症なんかはセラピー界ではどちらかというと解決が容易とされていますが、治ると聞いて驚く人もいます。広義トラウマにしても、ある種の性格の問題にしても、案外と不治ではなかったりします。
※ここでの「治る」は医療に限らず、広い意味での病や悩みが解消することを指しています。
それぞれに難しさはあります。たとえば、回避型愛着不安定の人は、「愛なんかいらねー」という性格をまとうことで傷つかないようにしているわけですから、心理セラピーを受けるなんてことはしないわけです。人を信用できないから、助けを求められないなんていうのもあります。助けを求めて実際に気づいてきたという人もいます。自己重要感が低いので、自分を助けられない(助ける価値がないと無意識が思っている)とか。たいていのプロセスは暖かいのですが、プロセスが実際にしんどい場合もあります。
人が「治らないと思ってました」と言うのは、たいていは「自然には治らない」「普通に努力しても逆効果にしかならない」ということを言っているようです。
脳に障害や特性があるなどの器質的なものではなく、心に起因するものの多くが回復します。
回復すると約束はできませんが、回復した人たちはいます。
なので、カウンセリングに物語(プライバシー保護された仮想事例紹介)を取り入れてるわけです。
「よくなった人はいますよ」
「ほんどですか?」
「たとえばですが、具体的には、こんなふうになるんですよ」
「それならわかる気がします」
「わかっってしまいましたか」
そしてそこから先は、やりたいかどうかってテーマになってゆくわけです。
で、意外と多くの心の悩みが回復可能なんです。葛藤や大変さはあるかもしれませんが。
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回復できないものは「時間」
気軽に言うことではないかもしれませんが、意外となんでも取り戻せたりします。
ですが、私がつくづく思うのは、「過ぎた時間」だけは取り戻せないです。
難しいとされる回避型愛着不安定も実は回復は可能です。ですが、成人期を愛着不安定で過ごして婚期を逃したことなどは巻き戻せません。
何歳であっても結婚はできるでしょうが、過ぎ去った年齢の結婚生活はできません。
失われた時間や時代というものは手に入りません。それでも回復は幸福をもたらすようです。失われたものも受け入れる統合という段階に入ってゆきます。それは回復ではなくて統合です。
セラピーは回復と統合を支援しますが、回復は何歳でも回復ですが、統合はいつなのかと関係します。
Kojunのクライアントはモチベーションが高い人が多いですが、「もうこの歳だから」と言うことがあります。過ぎた時間は戻らないことをよくご存じなのです。
いつでも回復はできます。楽しい時間を過ごすことも取り戻せます。しかし、時代は戻せないです。
心理セラピーというのは、止まっている時間を再び動かすことでもあります。
回復できない時間も大切にしたい
まだ回復に挑むときではない、回復が進まない、そんなものを抱えているとしたら、回復できていない今も大切な時間にできたらいいなと思います。
ですので、心理支援の目標は回復ですが、回復しなくてもそれはちゃんとその人の生き方になるということも目標になるかと思います。
それもまた、自分を存在させることだと思います。
回復後の自分は回復前の自分を愛せるでしょうか。それが統合です。
人生レベルのお悩みを背負った人は、老年をまたず統合を学ぶことになるのかもしれません。