例:「辞めたい職業を辞められない」

症状ではなく、その奥にある深層を扱う、または過去を扱う。そんな心理セラピーは原因論の罠にはまると批判する人もいますが、Kojunは必要だと思っています。

※このに記載するのは仮想事例です。

主訴:デザインの仕事をしたいけど公務員を辞められない

「ベンチャー企業に参加したいけど大企業を辞められない」なども同様ですね。かつてとても多かった悩みです。

あちこちに相談すると「いちどきりの人生だよ」とか「殻を破れ」とか「コンフォートゾーンから出ろ」とか言われてきました。

実は、公務員でなければなならいとか、大企業勤めでなければならないなどは、父親からの刷り込みが思い当たるのですが、それを言うと「親のせいにするな」「自分の人生だろ」と叱られてきました。

デザインの仕事をしたかった方をAさんと呼ぶことにしましょう。

脚本分析の例

分析といってもセラピストが一方的に分析するわけではありません。感情をたどってゆくだけです。できるだけありのままに。

さてAさんは実はデザインの仕事をした時期もありました。その頃の父親は元気がなく「まだ公務員の仕事は見つからないのか?」が口癖でした。デザインの仕事で評価された場合でも、残念そうにそう言うのでした。そして、父親の持病は悪化してゆきました。

デザインの仕事が行き詰まり、公務員の仕事に就くことになりました。それは妥協的な選択だったのですが、父親は大喜びで「やっと一人前になったなあ」と言い、父親の持病はどんどん良くなりました。

さて、何が起きているかというと、デザインの仕事をすると父の病気が悪化する。公務員の仕事をすると父の病気が治る。

つまり、父親は命をかけて公務員を勧めているのです。Aさんはデザインの仕事よりも父の命を優先していたのでした。

心理セラピー

さて、そうであるとするならば、「殻を破れ」というアドバイスの意味は「父親を見殺しにしろ」だったんですね。「コンフォートゾーンの外ヘ出る」は「自分のせいで父親が苦しんで死ぬ」だったんですね。

解放のセラピーでよく行われるのは、怒りの解放です。「私を縛るな!」という怒りですね。ところが、このケースでは怒りの解放は悩みを解決しません。父親は他人ではないからです。

しかし、怒りのワークをすることで、謎が解けてきます。怒りのワークをすると、涙が出てくるのです。(このようなセッションの進め方は、セラピーとアセスメントが統合されていると言われます)

そこで、悲しみを扱います。それは父を苦しませないために自由を諦めてきた自分への赦しでもあります。

「人生が不本意になる」恐さがあると思っていたのですが、実は「父が苦しむ」という恐さだったのです。前者の恐い感情を解放しても完了しません。解放すべきは後者の恐さなわけです。

また、公務員でない生き方を、父親ではなくあたかも自分が恐がっているかのように感じるのは「取り込み」とも呼ばれます。

自由に職業を選べないというお悩みの背景にあるものを感情として解いてゆくわけです。これは「分析」というような冷たいものではありません。ひとつひとつ「決断」してゆくようなプロセスでもあります。

ここでは、父親が持つ恐怖というのもを消化する必要がありますので、父親の立場を体験するイメージワークもしてもらいます。

上述のとおり、父親は自分の様態を悪化させてでも公務員なるべしと教えているわけですから、「公務員ではない」ことの恐さは命の危機ほどのものです。

実際にAさんの父親は、後に「公務員を辞めない」と約束することをAさんが断った直後に、様態が悪化して亡くなりました。

そのAさんの中にある「父親が持つ恐怖」を消化して、父親に返します。それから改めて、父親が苦しむというAさんの持つ恐怖を消化し、そしてやっと他者から職業を決められることへの怒りをワークすることができます。

しかし、Aさんは父親の命がけの愛情による挑戦を乗り越え、自由な心を手に入れて、もはや父親を怨む必要もなくなりました。

Kojunの考え

Kojunのところに来るクライアントの共通の言葉は「ずっとわかってもらえなかった」です。

Aさんは父親の持つ恐怖を背負って生きながら、「殻を破れ」とか「一度きりの人生だぞ」などと助言されてさぞ辛い旅をしてきたことと思います。

脚本に気づきかけたときも、「親のせいにするなんて根性が曲がってる」と叱られたり。

親がからむ脚本に触れよぁとしたとき、権威ある立場の専門家(医師など)から「親のせいにするんですか!」と怒鳴られた人もいます。

親を恨みたいわけではありません。必死に生きているだけです。自分の人生の責任(response-ability)として引き受けようとしているから、心の専門家に相談しているのです。親のせいにしたい人は自身が受ける心理セラピーを申し込みません。

「過去のことは考えるな」「幸せになる決断をすればいいだけだ」などという心理学も残酷だと思います。それが出来ない人たちのための心理セラピーを私はしたいと思います。

心理セラピーの本質はアドボカシーなのではないかと思うことがあります。

過去を扱うと不幸になる、過去は忘れるべきだという心理学もありますが、それはご本人が決めればよいのではないでしょうか。

※当サイトの記事には実践経験に基づく意見や独自の経験的枠組みが含まれます。また、全てのケースに当てはまるものではありません。ご自身の判断と責任においてご活用ください。

※当サイトの事例等は事実に基づいてはいますが複数のケースや情報を参考に一般化して再構成、フィクション化した説明目的の仮想事例です。

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