人が死ぬとき後悔すること~「やりたいことをやらなかった」編

人の死に立ち会うお仕事の方々が、人が死ぬときに後悔することを挙げていらっしゃいます。それらに影響する心理課題について書いてみます。

今回は、後述の参考文献から、「やりたいことをやらなかった」について。
 

なんとなくやらなかったというのならば話は別ですが、なぜか出来ないというのであれば、深層心理の問題として扱うとよい可能性があります。心理セラピーで扱うテーマとしては、「自己重要感」「自己肯定感」というものが関係することが多いです。

これは、「自分の意思、想い、願望を大切にしてはいけない」という制限が刷り込まれていることによるものです。

心理セラピーをする上で、たびたび引っかかる点を挙げて書いてみます。

自分勝手に生きたら、世間に迷惑がかかる?

自己重要感を解放したら、自分勝手な人間になってしまうのではないか。そのような抵抗を感じる人がいます。

解放するかしないかはご自身が決めることなので、セラピストが強要するものではありません。

重要なのは、解放したくない本当の理由を掴むことです。

「世間に迷惑をかけるから、解放したくない」

の奥にある、

「世間に迷惑をかけると、嫌われたり、責められたりするから、解放したくない」

という気持ちを捉える必要があります。

そのうえで、本当にそんなことになるのか考えてみたり、自分はどちらを選びたいのかを知っていただきたいと思います。

人に迷惑をかけないように遠慮して生きるというのも一つの生き方です。お勧めしたいのは、自分がもつ恐れと倫理観を混同しないようにすることです。

はたして嫌われるか?

嫌われることを恐れているとしたら、考えてみていただきたいことがあります。

自由奔放に生きている人と、遠慮しながら萎縮して生きている人と、どちらと友達になりたいか?

一般的には、自由奔放に生きている人の方が人気があります。

遠慮して生きる人にも、都合のいい人として歓迎されたり、同じ遠慮して生きている人が寄ってくることはあるでしょう。つまり、付き合う相手が変わってくるということです。

自由奔放に生きている人と友達になりたいのであれば、自分もそちらを選んだら、同様の人に好かれるかもしれません。

遠慮しながら生きている人に魅力を感じるのであれば、自分もそれを生きる選択肢はあります。

私はどちらを選んだ人も見たことがあります。

客観的に言えることは、自由奔放な人にも魅力があるということです。ただ、寄ってくる人の種類は変わります。

嫌われる恐怖を克服した人は、たしかに一部から嫌われ、他の多くから好かれるのかもしれませんよ。

もしかして、あなたは、誰からも嫌われたくないと思っていますか?

遠慮してしまう自分と、自由になりたいと叫ぶ自分がいる方。これまでは遠慮、これからは自由になりたいという方、とくに深刻な方には心理セラピーが役にたちます。想いがホンモノなら結果が出ます。

参考文献

※当サイトの記事には実践経験に基づく意見や独自の経験的枠組みが含まれます。また、全てのケースに当てはまるものではありません。ご自身の判断と責任においてご活用ください。

※当サイトの事例等は事実に基づいてはいますが複数のケースや情報を参考に一般化して再構成、フィクション化した説明目的の仮想事例です。

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