ネガティブな感情的は、解放が抑圧かのどちらかへ向かいます。(「ネガティブ」は悪いという意味ではなく、本能的にそれを避ける行動を導く不快系の感情グループを表します)
受け入れ解放すれば、減ります。目を背け抑圧すると、隠れて残り続けます。
喩えるなら、ゴミを家の外に出しすか、タンスに隠すか。出せば見える。隠せば見えない。
しかし、1つ厄介なことがあります。受け入れててるつもりでも、減らないケースがあります。
その違いを知っていて支援するのが心理セラピストです。多くの人はその違いを確かめることなく生涯を終えます。
この「受け入れても減らない」という経験をもって、人は「ネガティブ感情にフォーカスするとろくなことない」という経験則を作り出します。それはネガティブ感情の不快を避けたいという本能の後押しで定着します。
そして解放できずに、様々な抑圧をうみ、タンスの中から変な臭いがしてきます。そこで芳香剤を買い求めたりします。
感情の受け入れが解放になるか、ならないか、その違いは実は簡単な言葉で表せます。しかし、それを聞いてしまうと、いっきに勝負が決まります。
違いは何か聞くことで、区別できるようになるはけではありません。つまりそれは、言葉で表せるものの、知識ではないのです。
習得すれば一生の宝ですが、もう一つの厄介が待ち受けています。それは、ネガティブ感情を語ると世間から嫌われるというものです。抑圧の問題が、個人から世間のレベルにシフトします。
個人セッションでは葛藤として現れますが、世間レベルでは 怖れvs慈愛 とでもいう形で現れます。
簡単な例で表現すると、「泣くなよ」と言うのが怖れ。泣いてる人を近くに置いておける(排除しない)のが慈愛。
講座では、受講者のご関心や話題に合わせて、具体例が出ることもあります。ただし、もし怖れが勝つと、それは知識になってしまいます。いったん知識として持つのも悪くありませんが。