怒ることができないと、怨みやすい

心理カウンセリングなどの心の旅の中で、「怒り」と「怨み」の区別を学ぶことがよくあります。

誰かのことを批難して吊し上げているとき、「怨み」になっていことが多いです。

わかりやすい場面としては、「あなたは怒ってますね」と言ってみると、「別に怒ってなんかいません! アイツがけしからんと言っるんです!」となります。

「私は怒っている」という感覚が抜けて、「アイツ」の物語になるのが特徴です。

これは、私が最近重視にしている「自分がない」という心理課題の一端でもあります。

さらに、被害者役に立つことで、ドラマ三角形を生み出そうとします。つまり、「アイツを裁いてくれる人」を探し求めます。

セラピーがうまくいかずに、「怒り」ではなく「怨み」が出るときは、必要以上に派手に暴れてオーディエンスの気をひこうとしてしまったりします。セラピストのサポートが必要な場面です。

「怒り」は自分(または子)を守るため、「怨み」はアイツに裁きを下すためです。

「怒り」は原始的で、動物的です。「怨み」は知能的です。

「怨み」の代償は、アイツの罪を証明するために、自分が不幸でないといけなくなるという点です。

高度な機能である「怨み」を習得している人(普通の人)が、「怒り」と「怨み」の違いを実体験の中で習得するのは、ひと仕事です。

上述のように、怨んでいる人は怒ることができません。

また、怒ることができない人も、怨みやすくなる場合があります。

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