勤務先の経営者への不満を、精神的分離の観点でみてみましよう。
カウンセリングの仮想事例の話をします。
「社長は従業員の幸せを願っていると言っているけど、実際には利益優先じやないか」という不満に苦しんでいるとします。(他の不満でも当てはまります)
一般的な周囲の反応としてあるのは二通り。ひとつは一緒に愚痴を言う(または聞いて貰う)赤提灯。もうひとつは、「利益追求しないと従業員を守れないよ」みたいな説教。
心理カウンセリングではどのようにしているかというと、まずは言いたいことを言って貰います。ただし、赤提灯の愚痴と異なるのは、本当の気持ちの探求に拘るってことです。
本質が広義トラウマによるものであれば心理セラピーをお勧めしますが、今回は、そうでないケースです。
で、「社長は従業員よりも利益を優先している」ということについて、肯定しちゃうんですね。心理セラピストとしては、それが客観的に正しいかはよりは、本人が本気で思っていることを捉えたいのです。
ひとつ考えられるのは論理療法的なアプローチです。それは上述の説教と異なり、肯定を前提とします。
「社長は利益を優先している。従業員の幸せを優先はしていない」について、ふむふむと納得してみます。
認知療法だと、「まったく優先していないのだろうか」みたなことを考えてもらうのかもしれませんが、ここでは論理療法&分離のアプローチを提案してみます。
論理療法ではおもしろ論駁を使います。
「利益を優先して、従業員を大切にしているという半ウソをつくのは、社長の勝手ではないか」という考えを試して貰います。
イメージされている「本当にに従業員を大切にする経営」というのは、ご自身が社長になったときにやればいいってことです。これは独立しろというアドバイスではなくて、説明のための喩えです。
へんな言い方ですが、「自分はこの会社の社長ではない」「自分と会社は別の存在である」ということ。
心理的に会社と自分の一体化を解消するというアプローチです。これは赤ちゃんが「自分と母親は別の存在だと認める」分離のプロセスに似ているようにも思います。
別の言い方をすると、お悩みのテーマは社長の問題であって自分の問題ではないという視点。
これは悩みが単なる愚痴ではなくて、深い情緒に関連している(しかしトラウマでもない)場合のアプローチです。
経営側の人はこのアプローチを愛社精神を失するものとし懸念するかもしれませんが、そうとも限りません。
分離によって悩みは楽になりますが、その引き換えに分離の傷みを感じます。その傷みを消化する中で、自分が会社を愛していたことに気づくのです。
そして現実的な愛社精神(?)に進化するかもしれません。少なくとも健全になるでしょう。
母親との分離ができた人のほうが老いた親の面倒もみれるということとも似てますね。