大阪での心理セラピーを受付開始していますすが、7月1~19日まで個人セッションをお休みします。

家族システムと感情力動アプローチ

ある人が精神的なトラブルを発現しているけど、実は家族システムの問題がその人に表れている、ということがよくあります。

家族システム論では、その人のことをIP(Identified Patient)と呼びます。「患者として認識された人」というような意味だと思います。

私は「Specified Person」とでも呼ぶとよさそうに思っています。そもそも人間性心理学のセラピーには患者という考えはないので。

ある先生の講演では、「(システム論と違って)力動論には、個人内葛藤を扱うので家族システムの視点はない」というように話されていたので、ちょっと反論してみたいと思います。

個人をクライアントとして、個人の心を扱う感情力動のセラピーにおいても、家族システムの問題が浮かび上がることはよくあります。

たとえば、対人不安なんかですと、父から殴られたなどの二者関係を扱ってみるのですが、母が助けてくれなかった、兄弟も叩いてきた・・・というように他の家族メンバーも登場してきます。

「殴られたから人が怖い」というような場合ですと、もっとも影響のありそうな二者関係を1つだけ選んで扱えば、全体的によくなってゆくこともあります。

ですが、「私が殴られることで、兄弟が殴られなかった」とか「母の態度が父を殴らせていた」「私は父に殴られることで母を変えたかった」というようにして、二者関係を超えたところで何かが起きている場合があります。それをシステム論では上位システムと呼びます。

で、家族療法では上位システムである家族全体を扱おうというわけです。

感情力動アプローチでは、感情を解放してゆくので、複数の家族構成員が同席されるとかなりの制約になります。では、IPしか来談しない感情力動アプローチなら扱えないのでしょうか?

そうでもないです。二者関係を扱う場合も、来談者のみで解決しています。親がすでに他界している場合もありますしね。

他人から殴られたトラウマの場合は、恐さを受け止めるセラピーや心理的に戦うイメージのセラピーを行ったりします。チャゲアス風に「これからそいつを殴りに行こうかー」みたいな。ところが、家族システムが働いていると、クライアントは家族のなかで殴られるという役割を引き受けているので、戦うこともできません。それは恐がることを許すことも、守ること、守ってもらうこともできないということでもあります。

そのような場合は、家族のなかでのその役割を手放す、降りるという決断を可能にするセラピーを行うことになります。

つまり、下位システムのセラピーが上手くいかないという事態から、家族システムを浮かび上がらせて、家族内葛藤に触れるわけです。そこで、そのシステムのなかでの役割を降りるという個人内葛藤のテーマと向き合うことになります。

※これは、原家族(過去に所属していた家族)の場合ですので、大人向けのセラピーの話です。現時点でその家族に完全に属している子供が対象の場合は話が違います。

役割を降りるというのは、簡単そうに聞こえますが、殴られることの対人不安を維持してまでそこにとどまっていたわけですから、けっこう深い葛藤になります。

ずっと大事に保管しておいたものを手放すかのような心苦しさがあります。実は手放したあとに新しい家族の可能性が開けることもあるのですが、その手放しはなにかを喪失することではあるのです。

個人の悩みは個人の問題ではなく、家族システムの問題であった。しかし、自分としてそれを克服してゆく、ということになります。

家族療法の先生がおっしゃったように、力動アプローチがまったく家族システムを扱っていないわけでもないです。むしろ、よく出てきます。

また、私の心理セラピーサービスが未成年を対象としないのも、この理由が1つです。