過去のトラウマ体験を想起してもらうセラピーには2通りあるのではないかと思います。
馴化のプロセス
PEの想像エクスポージャーなどでは馴化が図られます。思い出し、語ることで、記憶が整う。それは「暴力を受けたことを思い出すことは、再び暴力を受けることとは異なる」ということを体験的に知ってゆくプロセスと言えそうです。
それはイメージワークの世界でステップアウトと呼ばれるものに似ています。暴力の場面を映画に喩え、映画のスクリーンから自分が抜け出して観客席に移動するというイメージワークをステップアウトといいます。
Kojunの心理カウンセリングのなかでも、クライアントが体験を語ることで楽になることがあり、それは言葉にしてゆくことで、「被害を受けた」あの時と「被害を受けたことを語る」現在が区別されるというステップアウトのワークでもあるのでしょう。さらに、他の事例の情報を提供したり、自分に起きた反応の正当性を説明されることによって促進されます。
また、被害当時の自分を客観的に見たり、子供の頃の自分を助けるというワークも一種のステップアウトかもしれません。
感情完了のプロセス
一方で、感情力動的なアプローチは、被害のときに凍りついて停止した恐怖の感情を完了させることを意図します。それは「恐い」を「恐かった」へと完了させるわけです。
一説では、草食動物が肉食動物に襲われて逃れたあとにトラウマにはならないのは恐怖をちゃんと完了させるからだと言われています。人間の場合は、弱みを見せてはいけないとか、傷つかないために平気なふりをするなど複雑なプロセスが生じて、恐怖が完了していないことがあります。
また、加害者への恐怖と、助けてもらえなかったという恐怖が重なってプロセスが未完了になっているようなこともあるようです。
そして、そのとき言えなかった、たとえば「おまえは卑怯だぞ」とか「信じていたのにガッカリよ」などを叫ぶことでトラウマ症状が解消することがあります。
ただ、恐怖の解放/所有のプロセスは独りでは難しい場合があり、味方がいることが重要です。
こちらは、いまここで体験しているかのように思い出すことが必要なので、ステップアウトの反対のステップインのワークと言えるでしょう。
Kojunの心理セラピーではこちらをメインにしています。ただ、ワークの前後には上述の馴化が起こっているようです。
でも、それは「感情を出させる」わけではないです。セラピストが誘導はするものの、あくまでクライアントがご自身でやりたいと思ってチャレンジすることです。そこを間違えて手法中心にしてしまうと「感情を出させる」セラピーになってしまいます。「嫌なことを思い出してしんどかった」という体験談の共通点は、どうやら本人主導になっていないように思います。
2つのプロセスを比べると
心理セラピストとしては、どちらのプロセスであってもクライアントの悩みが解決すればよいです。手法の優劣には興味がありません。
ただ、ありがちな失敗として、馴化を促す構えでステップインさせるみたなことはあるようです。恐がらせるだけのセラピーみたいになっちゃうんですね。クライアントは「恐怖がよみがえったけど、助けてもらえなかった」と語ります。まあ、クライアントをステップインさせて、セラピストはステップアウトしている感じでしょうか。
ステップインのセラピーをやるなら心理セラピストも一緒にそこへ飛び込まないといけないんじゃないかしら。いっしょにその世界に入って、助けるとか、言動を指示するとか、クライアントが言えなかったら代わりに言っちゃうとか。そのためには、実際のリアルな暴力に介入した経験とか、加害者と対決した経験が必要だろうと思います。
Kojunがこの方法で災害トラウマを扱わないのは、自ら災害と戦った経験がないからです。心理的にその戦いに勝つとうことがどういうことなのか知らないので、とっさの言葉が出ないでしょう。
逆に、馴化が進むとステップインが難しくなります。それでも何らかの症状とでもいうようなものが残っているのであれば、それを拡大して感じてもらいます。馴化しても厄介な反応が残っているということは、なにかがひっかかっているわけですから、それさえ再現できればよいのです。
そのひっかかっているもの、それに対して何をどうするかはケースバイケースです。
端的に言うと、ステップインのクライアントは病気を治しに来ているのではなくて、幸せになりに来ているという特徴があります。症状を統制するというような治療者の成果に重きをおきながら、こちらの手法を使うと、あまり上手くいきません。たとえば、性暴力被害者にとって、PTSD症状が治まればめでたしめでたしというわけではありません。
一方で、ステップアウト、すなわち馴化は方法を手順化して効果を症状の変化として測定しやすいので、研究データが蓄積された安定感があります。
先に記憶に馴化してしまっているとクライアントには余裕がでてきますので好都合ですが、セラピストとしてはどうすればいいか判断が難しくなります。焦らないで主訴に立ち戻るのがよさそうです。セラピストが焦って、なんか出してくれーとならないように。セラピストが「あなたは心が開いていません」と言っちゃうのはよくありますが、言われたほうも困ります。
現在を手掛かりにステップインしてゆくと、思いもよらない場面が出てきます。
追記:体験が加わる
トラウマ出来事を語るセラピーにおいて起きることとして、もう一つ考えられる説は、セラピストとの関わりの中で語られることで、記憶に新たな体験が加わるというものです。つまり、「語った」とか「共感できた」とか「セラピストが感情を返してくれた」というような体験が加わることによって、トラウマ記憶が扱いやすいものへと変容するというものです。
馴化を狙うPE(持続エクスポージャー)の想像暴露ではセラピストは共感などを伝えることはしないことになっているので、この「体験が加わる」というのは馴化とも微妙に異なることのように思います。
フラッシュバルブ記憶(トラウマと関係のない鮮明な記憶)は時間とともに変容しますが、フラッシュバック(意図せず早期されるトラウマ記憶)は時間経過だけでは変容しにくいそうです。体験を加えることで、トラウマ記憶にある種の変容を加えているということでしょうか。
これは類似のトラウマ体験を持つセラピストや当事者ピアサポーターが聴き手となった場合に起こりやすいように思います。そして変容のスピードは馴化よりも速いような印象です。
参考
- 『PTSD治療ガイドライン[第3版]』国際トラウマティック・ストレス学会公認
- 『「心の病」の脳科学』の第8章「PTSDの記憶を薬で消すことはできるか」喜田聡