感情に触れて涙や怒りの動作を表す儀式などは昔から古今東西にあるようです。昔の人たちは人間に必要なことをよく分かっていたのだと思います。現代の心理セラピーでも感情を積極的に扱うものがあります。
ここしばらく最近まで、感情を扱うセラピーを「苦しいセラピー」であるかのように説明されることがありましたが、それは半分くらい誤解です。
セラピーで苦しんでいるのではない
実際にはさほど苦しくありません。「いやー、セラピー受けて苦しかったわー」というのはあまり聞いたことがありません。
感情が出せなくて、悔しがるクライアントはいます。本当の感情を出さないように頑張って、苦しい感じになることはあります。
セッション中に、泣いたり恐がったりの感情が表現された場合、それはセラピーをしたから苦しんでいるのではなくて、もともと苦しんでいたのがやっと出せたわけです。
ですので、多くの場合、どちらかというと気持ちいいです。
また、なにかをやっと手放せた場合などは、「せつない」がおきます。この場合は少ししみます。
セッション中にクライアントが泣いたり恐がったり(恐かったことを思い出したり)すると聞いて、「苦しいセラピー」だと思う人は、そのプロセスを体験したことがない人でしょう。また、それを「苦しいセラピー」だと思う人は、人間の力を信じていなくて「辛い過去をもつ人は、一生不幸に違いない」とどこかで思っている傾向があります。
心理セラピーのセッションで人が泣いているは、幸せになるために泣いているのです。それを信じることができない人は、このようなセラピーをしないでしょう。
やりかたが間違っている場合
しかし、本当に「苦しいセラピー」になってしまう例もあるようです。クライアントさんから失敗セッションの体験を聞くと、それはセラピスト自身がプロセス体験をしたことがない場合のように推測します。専門知識を使ったセラピーもありますが、感情を解放するセラピーの場合はクライアントの体験を観察する以前に自分が知っていないとできないです。
感情の見立てを間違えている場合もあります。たとえば、クライアントが「悲しいから怒っている」場合は、「悲しい」が本当の感情ですが、「怒り」の方を表出させるワークをしても感情処理は進みません。あえてそれをやってみることで悲しみに気づくプロセスもありますが、あえてやってみるのと、怒りがターゲットだと思ってやるのは違います。
セラピスト自身が「私は怒っていたけど、本当は悲しかったんだ」と気づいてボロボロ涙するなどの体験することで、セラピストの見立ての力は獲得されます。。
あるいは、世間的に「弱い人、臆病な人」と思われがちな人を見たときに「あ、この人は強い人だ」と直感的にがわかる人がセラピストでないとうまくいきません。これは学問だけでは足りなくて、ある種の人生経験によるものだったりします。
本当は悲しんでいるのに怒りを表現するワークをしたりすると、クライアントがぶちぎれてしまって地獄絵図のようなセッションになったりします。
知識に頼った感情セラピーがダメだったという体験談は何度も聞いています。そのような失敗ケースが、「苦しいセラピー」という印象を作っているのかもしれません。