「手放すこと」を苦しんでもよい

悩みの解決とは、どうしようもないことを諦めて、出来ることをすること、とも言えるかもしれません。

生きづらい人は、あるテーマについて、変えられない過去を諦めずに、変えられるはずの未来を諦めているということがあります。

過去を諦めない人は、未来を諦める

心理セラピーは未来を変えるために行うものです。ですが、それは変えようとしても変わりません。

だから心理セラピーに申し込んでくるのですよね。

未来を変えるためには、未来を変えまいとする力、すなわち「諦め」を解除します。

どうするかというと、未来を諦めているという心の病を解消するために、過去を諦めるワークをします。

つまりこうです。

未来が自由になる ← 未来への諦めを解除 ← 過去の諦めを完了

※これが当てはまるかどうかはケースによりますので、適切な見立てが必要です。

もちろん、「さあ、諦めろ」と言うわけではありません。

また、クライアントの「もう諦めましたよ」と言う台詞は、諦めていないことを意味する場合が多いです。

必要なのは「諦める」ことことではなくて、「諦まる」こととでもいいましょうか。「諦めがつく」なんて言い方もありますね。

ですから、「諦まる」になるために、諦められないという感情を扱います。

諦めるというと聞こえが悪いので、手放すと言いましょうか。

心理セラピストKojunの役割

心理セラピーでは短時間にいっきにやってしまうので、さほど苦しみはないかもしれません。

ゆっくりカウンセリングに通いながらなどの場合は、手放せないと感じることも、そして手放すことも、苦しいです。

そこで出来るだけ苦しまないように支援するのが心理職という考えもあるでしょう。

しかし、私などは「苦しいですね。苦しんでよいのですよ」と言います。

この意味は届くクライアントには届きます。

でも、この台詞は暗記して真似してもダメです。セラピストの生き方から出る言葉だからです。

ちゃんと苦しめる安全な場を提供するのが私の仕事です。その結果、あっという間にそれは通り過ぎてしまうので、苦しんだというよりホッとした体験となるわけです。

※当サイトの記事には実践経験に基づく意見や独自の経験的枠組みが含まれます。また、全てのケースに当てはまるものではありません。ご自身の判断と責任においてご活用ください。

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