トラウマによる対人緊張の場合
対人緊張には様々な反応場面がありました。「相手が目上のときに緊張する」とか、「相手が複数人のときに緊張する」とか。
その背景にある深層イメージにも様々にあります。「攻撃される感じ」とか、「見捨てられる感じ」とか、「笑われる感じ」とか。
それらの「される」恐怖が強く、悩みの中心である場合は、(出来事を忘れている場合を含む)被害トラウマという扱いの心理セラピー(過去の出来事や加害者に対する、記憶の再整理、馴化、境界線の復活など)で、解消する可能性があります。
他者に対する認知や、過去の加害者に対する恐怖の解消が本質である場合で、広義PTSDやショックトラウマですね。
いわゆる、あがり症の場合
あがり症と呼ばれるもの場合、やはり様々な「される」深層イメージはあるにはあるのですが、フォーカスがそれよりもご本人自身に向いていることが多くあります。こちらをKojunは「あがり症」と呼んでいます。
その場合は、被害トラウマとしての心理セラピーでは的を外すように思います。
それらのケースには、一つの共通点があります。あがり症の人たちの共通点と言ってよいでしょう。
それは「緊張することは悪いこと」「緊張してはいけない」という深層信念を持っているということです。
という点からみると、あがり症は、「緊張してしまう」病というよりは、「緊張を怖れる」病とでも言えそうです。
緊張恐怖症とでもいう側面があります。
こちらの場合でも、「攻撃される」「笑われる」などの深層イメージは扱うのですが、扱うのは「恐がる自分」「緊張する自分」をゆるすというプロセスになります。ゆるしの体験を体の芯まで沁み込ませます。
場合によっては、場面に対して「緊張していますか?」と尋ねると「緊張していません」と答えるという特徴的な反応があります。「緊張しすぎるんです」という相談なのにです。
すなわち、自分と向き合う心理セラピーになります。
これらを診断的に区別すると危うい
ここで言うところの「ショックトラウマ対人恐怖」と「あがり症」とは、解消の方向が真逆です。「(ある意味で)恐くない」を目指すのか、「恐くてもいい」を目指すのか。
しかし、区別が難しいです。本人が語る原体験、症状的なことだけで判断すると逆に見えることがあります。
ですので、診断的な態度ではなく、何が必要なのかという態度で、その人の今ここでの体験を追跡する必要があります。
さらに、心理セラピーの最中に隠されていた一つ目の扉が開いて、見立てが逆転する場合もあります。
手法よりも本人を信じる必要があります。
当事者側の言葉で言うと、自分を信じるということです。ただし、それは同時に自分を騙すことをやめるということです。騙す自分に気づいて、自分を信じるわけです。