心理セラピーは過去をほじくる?

よく、「精神分析の流れをくむ心理セラピーは過去をほじくるから、けしからん」という意見があります。

知識を使って、「きっとこの人は幼少期に〇〇で、いま〇〇になってるんだな」みたいに人を見て、過去を言い当てたり、アドバイスしたりするのが時々流行ります。

そしてその反動で、精神分析ぽいアプローチが批判されたり。

たしかに、切れるメスを持っているからといって人の体を切ってよいわけではない。

ほじくるというのは、知識がさせるものですから、それは支援者が心理学を学んだ人なのか、それとも当事者経験をしてきた人なのかの違いも大きいように思います。

心理学では「子供の頃にネグレクトされた人は愛着障害になる」みたいな因果論となることが、当事者体験では「子供の頃をを扱うと愛着障害が回復する」という目的論になります。

ただし、「過去=因果論」ではないのです。「目的論=過去を扱わない」でもないです。

再決断療法などでも幼少期や過去の出来事を扱うけと、それは過去ではなく今を扱っています。

※再決断療法は、精神分析の流れをくんで幼少期を重視しますが、ゲシュタルト療法の発展でもあるので「いまここ」のワークをします。

実は「幼少期がこうだったから今こうなっている」という原因論に興味があるのではなく、「今ここ」にある幼少期のイメージをワークをしています。

つまり幼少期の記憶や出来事は、諸悪の原因ではなくて、有難い解決の鍵なのです。

だから、幼少時代の体験を語り、苦しみを表現したり、涙を流したあと、幼子のように目が輝いてホッとされるわけです。

「子供のころにネグレクトされた人は愛着障害になる」みたいな因果論の法則はどうでもよくて、「この人の愛着障害を解消する鍵は、ネグレクトの悲嘆の完了である」という個々の仮説のみに意味があります。

犯人捜しではなく、解決捜しをしています。クライアントの言葉では「べつに恨みたいわけじゃないんですが」となります。

心理セラピーでは、目的(解決したい悩みなど)があって、その解決に関係ある過去だけ扱います。本人が求めていなければ(依頼されなければ)、過去には触れません。解決できる見込みをもってしか過去には触れません。

また、患者にこころの秘密を語らせたら治るという単純なものでもないことも早くからわかった。むしろ、患者に秘密を残すことが大事だという主張もでてきた。たしかに、よい外科医はやたらに切りたがる外科医でもなく、大きく切開する外科医でもない。」

『看護のための精神医学』中井久夫・山口直彦

解決を求められていなくて、解決策もなく、ただ過去のことを言い当てるという人がいます。当事者視点なく臨床心理学を学ぶとそうなります。それは「私が不幸なのは幼少期のせいなのだ」という貧困なストーリーを通して人生を歩んでしまうことを促がします。

そして、その反省や反動から、逆に過去を扱ってはならないと言い出したりします。

実際の人間や人生はもっと豊かなものです。

精神分析を含む現代の心理セラピーは不幸の理由を探しているのではないでしょう。本当の自分を探しているのです。救済可能な、おきざりにされた自分を探しているのです。

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