それを「不適応スキーマ」と呼ばない理由

自己啓発や認知行動療法ではなかなか変えることの出来ない、深層心理にあり人の人生を支配するものを中核信念と呼んだりします。

とくに悩みや病の原因となっている場合は、心理療法において「不適応スキーマ」とか「非合理な信念」とか呼ばれます。

取り除くべき悩みの原因というわけです。

私も中核信念を解消する心理セラピーを習いましたが、それを習った心理セラピストたちは二手に別れました。

ひとつは上述のように、中核信念をやっつける人たち。中核信念クラッシャーを自称する人もいます。

私を含む一部の心理セラピストたちは、中核信念が愛おしくなってきました。中核信念ヒーラーですね。

中核信念はそのクライアント本人を守ってきたものであったり、誰かを救うために引き受けたものだったりします。

たとえば「人目を気にし過ぎる」という悩み。その根っこである中核信念を手放すのがセラピーということになります。たとえばそのきっかけが母親が世間体を気にする人だったことの影響だとすると、そこにまつわる感情なんかも処理して、深層に触れてゆきます。

やりのこした反抗期を再演して中核信念をクラッシュして療法の即効性を讃えることも出来ますが、もう少し深層の奥に触れるクライアントもいます。

なぜその人はかつての反抗期にそれをしなかったのか? そこには事情や意思が隠れていることがあります。それは事故や災いではなではなく、その人が選んだ意思だったりすることがあります。その人は機能不全家族の犠牲者ではなく、もっと主体的な何者かだった。

それを「不適応」の原因としてクラッシュするのではなく、供養する。

その中核信念は小さくなり、大きくなった自分の手のひら上に浮かび、それは自分の一部として受け入れながら、もはやそれに支配されることがない。そのような成長をするクライアントもいます。

そして、それはある意味でヤングケアラーであった幼少の自分を子供として解き放ち、未来への望みを得てゆくことこともあります。

それは、「苦しみを取るためのセラピーか、幸せになるためのセラピーか」論争の答えでもあります。

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