「愛着安定化」の心理セラピー

愛着安定化のためのセラピーについて書いてみます。

ラベリングに関する注意点

単に「愛着障害を解決したい」というだけではセラピーは始まりません。どうなりたいかが大事です。

「愛着障害」はラベルであって、愛着理論に着目したアプローチや方法があるだけです。そのアプローチがご要望を叶えそうなら、その心理セラピーを提案させていただくことになります。

「セラピストの言葉が呪いをかける」と戒められていること

「わたし愛着障害なんです」では解決しにくい

たとえ愛着障害であっても目的や価値観によって、向いていない人もいます。

愛着障害というラベルを相手に闘ってしまったり、愛着障害であることや親の有罪を証明することは良い目的1ではありません。

愛着セラピーの特徴的なところ

多くの心理セラピーは後天的に刷り込まれたを取り除くものと捉えることができます。たとえば、犬に噛まれることで「犬は恐い」「犬を避けろ」という反応というかスキーマというかが刷り込まれた犬恐怖症は、その反応やスキーマを手放す、アンインストールが成果となります。生まれつき犬恐怖症とか、生まれつき劣等感とか、生まれつきトラウマの人はいないのです。

また、失われたもの(尊厳など)を取り戻したり、ポストトラウマグロース(新しい世界を手に入れるなど)を目指すセラピーもあります。

愛着のセラピーは、得られなかったものを得る、インストール型というか育成型です。

愛着スタイル(回避型、不安・葛藤型など)は生まれつきではなく後天的(早期)に獲得した生存戦略でもありますが、それをアンラーニングする(手放す)ことがセラピーの本質ではありません。後述するように基本的安心感などが得られることが成果となります。

そういう意味で、愛着スタイルは後天的ではあるものの、いわゆるスキーマ2とは扱いが違います。

※対人援助職の勉強会などで愛着障害が話題になると、不適応スキーマの一種だと思っている支援者が多いようです。学問的にはそうとも言えるかもですが。それでは、愛着スタイルの説明はできますが、克服方法は見えてこないです。

克服プロセスの全体像

愛着不安定をなおす方法なんてものはありません。あなたの道があるだけです。

とはいえ、一応の成功パターンというか枠組みはありまして、俯瞰的には克服プロセスは次の3段階と捉えています。

1.愛着安定化
心のタンクを満たす
2.対人関係修復
家族や仲間との良い意味での依存関係をつくる
3.トレーニング
メンタライゼーションやNARMトレーニングなどにより、新しい世界観や行動パターンを獲得してゆく

『愛着障害の克服』(岡田尊司著)を参考に。

Kojunの提供している心理セラピーはほぼ「1.愛着安定化」に相当するものです。私のクライアントは指導のようなものを必要としない主体性のしっかりした方が多いので、「2.対人関係修復」「3.トレーニング」はご自身で勝手に実践してしまいます。「1.愛着安定化」だけは独りで行うことが困難なので、心理セラピーはここに集中します。

愛着安定化の目的

一般的には3才くらいまでの幼児期に母親的な養育者から抱っこされたり世話をやかれたりすることで、心のタンクの中に「安心感」が溜まってゆきます。なんらかの事情でその「安心感」をもらい損ねた場合に愛着不安定(愛着障害など)になったという仮説を採用しています。

この得られなかった「安心感」を受け取るのが愛着安定化の目的です。

愛着不安定の人も、このタンクの中に「安心感」が入ってくる経験をしたことがあることが多いようです。しかし、愛着不安定の人のタンクの中の「安心感」はことあるごとに減ってしまうのです。しかし、ひとたびタンクが溢れるまで「安心感」を入れると、それは減ることはなくなります。

これを「内なる安心基地ができた」と表現することもあります。

※幼児の発達理論では、「養育者イメージの内在化」とか「対象恒常性が芽生える」というよく似た概念があります。

そのようにして、さらには、愛をもらう人から、愛を与える人へと変わってゆくことが起きたり。(自己犠牲的な大袈裟なものではなく、ちょっとした優しさや、お礼を言うことなどです)

そして、周囲の人が「人」であることが見えてきたりします。

しかし甘えの心情をすべて否定して、人間はすべからず自立すべし、ということになると、小さい頃の親子関係は成立しなくなるでしょう。しかも小さいときに甘えられなかった人間は、それこそ自立もできなくなるのです。

『「甘え」と日本人』土井健郎・齋藤孝

愛着安定化の方法

Kojunのところではイメージワークと単純化されたロールプレイを通して行います。概ね「心を開く」と「安心感を注ぐ」の2フェーズになります。

カウンセリング面談スタイル(岡田尊司氏など)よりも、集中的に行うものです。また、直接に親と話したり手紙を書いたりする方法(スーザン・フォード氏など)はしませんが、イメージワークの中では仮想的にそれに似たことを行う場合があります

「心を開く」

「心を開く」は、凍りついた感情を解放するもので、ケースバイケースです。孤独という恐怖からの救出、複雑性PTSDの解除、対決、怒りの解放などを行います。「安心感」が得られなかったケースの例としては次のようなものがあり、開くアプローチも様々です。

  • 養育者が危険な存在だった
  • 養育者が不在気味だった
  • 養育者が与える側でなく求める側だった

だが大切なのはこの”対決”は彼ら(引用注記:かつての養育者)のためのものではなく、あなた自身のために行うものだということである。(中略)もしあなたがそれをやる勇気を出すことができたなら、それだけであなたの”対決”は成功したと言えるのだ。

スーザン・フォワード『TOXIC PARENT』

また、回避型愛着障害といわれるタイプでは、愛を受け取ることへの恐怖が凄まじく、心が開きません。その場合はまずは恐怖に慣れる必要があり、ほとんどワークが機能しない可能性があります。そのような場合は準備の実践を伝授します。

隠れた感情をみつけて大切にするワークになります。

養育者に対する当時の不満などを言葉にするワーク場面では「諦めました」「どうせ親は変わりません」という気持ちになることがありますが、それは自分自身のためのワークになりません。これが心が閉じている状態です。キレるのも同様に、心が閉じていて、自分自身のためのワークになりません。諦めたりキレたりするのは、親を変える努力です。「親に〇〇でいてほしい/ほしかった」などが言えるのが、自分自身のためのワークです。逆のように思えるでしょ? 論理と心理(真実)は逆なのです。でもホントはそうかもしれないと思える人はこのセラピーが向いているかもしれません。

そしてさらに興味深いのは、「心が開く」ということは「心が閉じる」必要があった自分を認めてゆるすことでもあります。ですので、この「心を開く」セラピーが向いていない人がいるのも自然なことです。

心理療法とはいいながら、私は克服させるメソッド・治療法をもっていません。克服したい人がいれば道が開けるというだけです。

「安心感を注ぐ」

単純化されたロールプレイによって暖かいものが流れ込んでくる体験をします。

心理セラピーで失敗しているケースや、日常生活で悪い意味での依存になってしまうのは、ここだけをやっている場合に相当します。それは「貰うけど受け取らない」ということになります。そのような場合は、ワークを中止することもあります。

うまくいけばタンクに「安心感」が溜まるということがどういうことなのか少し実感できるかもしれません。「もっと欲しくなる」と「溜まる」の違いが分かればしめたものです。この体験を数回繰り返すことで愛着安定化が実現されます。心理セラピーの中では、例外的に回数を要するものです。

少しずつですが、最初の少しをできた人は、いずれタンクを満たすでしょう。やがて心理セラピー以外にもタンクに注がれる体験があることに気づき、心理セラピーを必要としなくなります。そして、上述のように溢れてしまえば、与えたくもなります。

Kojunのセラピーでは、その場で成果を出すことよりも、何が起きているか知ることを大切にします。

参考

おまけ

ラジオ・アーカイブ「愛着障害を持ったまま生きる!?」

ゆめのたね放送局の許可を得て公開しています

※当サイトの記事には実践経験に基づく意見や独自の経験的枠組みが含まれます。また、全てのケースに当てはまるものではありません。ご自身の判断と責任においてご活用ください。

※当サイトの事例等は事実に基づいてはいますが複数のケースや情報を参考に一般化して再構成、フィクション化した説明目的の仮想事例です。

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