私の異性装〜ひと目を気にするために生きているのではない。

私が異性装(ここでは、身体と異なる性別の服装をすること)をSNSで公開したとき…

よく「うけるね」ボタンが押されました。

それは残念でしたが、その不愉快に負ける気はまったくしませんでした。

そして、とくに説明もしなかった。

「笑わないでください」とお願いする気など毛頭ありませんでした。

当時LGBTQなんて概念も知らなかったので、なんら人権など主張するものとも思いませんでした。

これをカミングアウトしたことで、社会的に不利になることは私にとって受け入れられることでした。

「人目を気にする生き方をやめたい」というのは心理セラピーのクライアントのテーマとしてもよくあります。一般的には「必要以上に人目を気にしすぎるのを解消する」でしょうか。

でも、私な場合は、必要以上かどうかではなくて、もっとシンプルに「人目を気にするために生きているわけではない」という生き方を選びました。

それによって社会的に不利になるかは二の次の問題ということです。

社会を生き延びるために人目を気にする人生を送りたいか? それとも、まず人目を気にするために生きるのをやめてから生き延び方を考えたいか?

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