心の問題を克服して変わったなにげないこと

心の問題を克服して変化したことについても書いてゆこうと思います。

心の問題というのは、愛着不安定、広義トラウマなどの精神的な不自由のことです。私も主ないくつかを解消してきました。

特別な症状などがなくなるというのはさておき、書いてみたいのは日常生活や世界観の変化ですね。

掃除が気持ちいい

私は引っ越しが多い人生をおくってきましたが、借家の退去のときの掃除にはへんな緊張感がありました。「不備があると金とられるー」「不備があると争いになるー」みたいなですね。

それが、退去のときの掃除は、心が洗われて楽になってゆくような感じに変わりました。もちろん、スケジュール的な余裕などにもよるのですが、完璧主義のような減点法ではなくて、やればやっただけ良くなるような感じですね。

また、以前は「退去前にキレイにするのではなくて、住んでいる間にもっとキレイにすべきだった」みたいな自己嫌悪感があったのですが、最近の引っ越しではそれがありません。引っ越しをきっかけに掃除できて、癒しを感じます。

年末の大掃除なんかもそうですね。

掃除できない自分を責めなくなり、できたぶんだけ気持ちいという感じです。

掃除というのは汚れがとれないところがあったり、全部できなかったりします。その出来ないところに苦しむのではなく、出来るところを楽しむようになったということでしょうか。生き方についても、思い当たるような気がします。

日常のなかで感じる心の変化、「以前の私と違うな」は、「ゆるし」に関係していることも多いように思います。

繊細で雑なわたし

そういえば、カードを使ったワークショップで驚かれることがあります。

私はけっこう理論の詳細まで考えていたり、場の空気を読むのに数分間の沈黙をいとわなかったり、かなり繊細なイメージを持たれています。ですので、カードを使ったワークショップともなると、厳密にカードを並べたりするのかなと思いきや、枚数も数えずにガサッととってとりあえず広げてみるというような並べ方をします。

大きなイベントを手分けして準備するような場合は、職人のように丁寧に並べたりすることもあります。ですが、臨機応変に、雑でいいときは雑にやります。

どうでもいいことはどうでもいい。でもなにかに拘っています。

他者目線ではなく、自分目線での拘りが残ったのかもしれません。

カフェで席を選ぶのも速くなりました。

完璧主義であるがゆえに何もできない、あるいは疲れる。そんな状態から、不完全が平気であるがゆえに何でもできるといった感じになりました。

「そりゃあ心に傷くらいは負ったろうさ。しかしあいつはそれ以上のことを学んだはずだ」

次元大介(ルパン三世 Part6)

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