エクスポージャー法を当事者視点から

エクスポージャー法(暴露法)は、不安や恐怖を引き起こす状況に自身を晒して(暴露して)徐々に慣れてゆくという心理療法です。安全な環境で繰り返し練習することで、徐々に不安や恐怖の反応を減少させます。

効果が検証されているものですが、なんだか恐ろしいという印象もあるでしょう。ここではクライアント視点でエクスポージャー法を理解するヒントを書いてみます。

支援者の関心の中心は「効果がある」というところになりがちですが、当事者はより「どのような場合に効果があるのか」「どのような効果があるのか(それは自分の目的か)」に関心を持つとよいと思います。

エクスポージャーには種類がある

エクスポージャーといっても様々なものがあるということは知っておきましょう。それによって話が違ってくるからです。自分に必要かどうかも、バリエーションを知らずに判断できません。バリケーションはオプションの組み合わせですが、具体的にイメージするために代表的なものを挙げてみます。

現実暴露

日常生活の中などで行います。社会不安の人があえて人混みの中に出掛けるとか、強迫症の人があえて消毒していない吊革に触れるとかです。実際にあるモノ、場所に対して暴露(晒すこと)します。不安階層表というものを作って、スモールステップで行ったりします。

私のクライアントには何十年ものサバイバー生活の中で必要に迫られて現実暴露のスキルを自然と身につけているという人たちもいます。

想像暴露(イメージ暴露)

強い恐怖症などに適用されます。苦手なもの、恐怖対象を思い浮かべます。私の心理セラピーでも恐怖対象を想像して、それに近づいてゆくというワークを行うことがあります。たとえば、カマキリ恐怖症なら、目の前の机にカマキリがいると想像して、徐々に近づいたり、触れたりします。「徐々に」というのは、恐怖が収まってから次に進むというような意味です。

また、言葉を聞いただけで恐怖反応がある場合には、言葉を連呼するような方法もあるそうです。「カマキリ、カマキリ、カマキリ、カマキリ、カマキリ、・・・」と100回くらい言ってみるなどです。これも想像暴露に近いように思います。

記憶への暴露

イメージ暴露の一種ではありますが、実際にあった過去の出来事を扱うという意味で別に挙げておきます。単に記憶の想起とも言います。具体的にはその出来事を思い出して語るというようなワークになります。そしてそれは記憶の再整理も兼ねています。

PTSDやトラウマ体験について適用されます。また、心理セラピーやグループセッションの中でクライアントが場の安全を感じると、自然と話し始めることももあります。これを中心に現実暴露などと組み合わせたプログラムとしてかっちりやるのがPE(持続エクスポージャー)です。

上手くいかない例から学ぶ

心理セラピーは本質的に試行錯誤を含むものなので、失敗してもそれを手掛かりとしましょう。ですが、ここでは最初から気をつけておきたい、上手くいかない例を挙げてみます。

恐がらせてしまう

これが恐ろしい印象の元だと思うのですが、恐さをたくさん感じようという趣旨ではありません。恐がるのが目的ではなく、「あ、大丈夫だ」を感じるのが目的ですね。

ショック療法みたいなやり方は心理療法では主流ではありません。水が恐い人をプールに投げ込むみたいな? 上司からの指導などには、そういうのもあるかもしれませんが。

これについての心配を解消するには、セラピストに具体的なやり方を十分に説明してもらうのがよいでしょう。つまり、原理説明だけでなく、やり方も説明してもらいます。簡単なデモをしてもらうのもよいかもしれません。

クライアントに主導権があるようなスタイルなら試しやすいように思います。

適用の主従を間違える

たとえば、愛着不安定によって人が苦手な人や、暴力被害トラウマの人に、いきなり人に近づく練習をさせるなどです。その場合には、エクスポージャーだけでは回復が難しい場合があります。

それらの回復や克服にもエクスポージャーの要素はあるのですが、最初にやるべきことではないでしょう。そして、後でやるにしてもエクスポージャーをメインとはしません。

たとえば、暴力被害によって男性恐怖となった女性の場合ですと、男性というものへの信頼(もしくは自分自身への信頼かもしれませんが)を取り戻すことがメインであり、その結果として男性恐怖が解消するということが考えられます。そのとき信頼を取り戻した分だけエクスポージャーが可能になりますが、エクスポージャーを可能にするという目的のために信頼を取り戻しているわけではないということです。

ポイントとして、エクスポージャーの目的は「回避によって症状(悩み)が維持している」悪循環を崩すことにあります。

上の例では、「男性を避けるから男性が恐いのだ」という悪循環が男性恐怖が維持される主な原因ではないので、エクスポージャーの対象に当てはまらないかもしれないのです。「過去に危険な目にあったから」という原体験や、それによって傷ついている心を置き去りにして、馴らして恐怖を減らすことに成功したとしても、あまり幸せにならないかもしれません。

逆に「避けるから恐いのだ」循環が生じている場合は、その循環を断ち切るためにエクスポージャーすることはあるかもしれません。その場合はエクスポージャーで男性恐怖を治そうとしているのではなく、循環を断ち切ることで他のワークが可能になることを目指す準備としてのエクスポージャーです。

ですから、エクスポージャーを提案するセラピストに、エクスポージャーをメインとして解決しようとしているのか、それとも補助としてなのかを確認するとよいかと思います。

エクスポージャーはその第一印象ほど恐ろしいものではないのですが、一方で、この節の冒頭の例のようにエクスポージャーで嫌な思いをしたというクライアントの体験談も何度か聞いたことはあります。それはエクスポージャーをメインにし過ぎたケースと捉えることができます。それらは研究者がセラピーを提供した場合(研究のためにクライアントを募集している)で起こりやすいように思います。いわゆる人の苦しみというものを理解することと、科学的な知識というのは異なるコンピテンシーなのですが、エクスポージャーは科学的な知識の方に関心が寄っている人たち(すなわち研究者)にとっても理解しやすいからだろうと思います。

「で、けっきょくその療法で治るの?治らないの?」というように、症状が消えることだけに関心がある専門家もいます。それはそれで持ち味なのですが、それが自分に合わないと思う人は、症状の消失だけでなく、クライアントがどのような体験をするのかにも関心があるセラピストを選ぶとよいでしょう。それを確かめるための会話はご自身からする必要があります。

「回避」を目の敵にしすぎる

エクスポージャーは「回避」という症状をターゲットとします。ところが、「〇〇を避けてしまう」という構図はあらゆる悩みの中に見出すことができます。「金槌を持つとなんでも釘に見える」というように、エクスポージャーを最初に学ぶとしばらくは何でもエクスポージャーをしてしまいたくなるとしても不思議ではありません。

これは先の適用の主従のことと大きく重なるのですが、観点として別項目で挙げてみました。

これらは他の療法にも言えることなのですが、回避がなくなることは目に見える成果に直結しますので徹底しやすいように思います。

「それは回避です」を連発されて違和感を感じる場合は、自分のニーズと提案されている手法にズレを点検するのもよいかもしれません。

あるいはケースフォーミュレーションとして、「回避行動こそが症状を維持している」なのか「悪循環の中に回避行動が含まれる(が、そこを変えても問題の形が変わるだけ)」なのかを話し合ってみるのもよいかもしれません。

あるいは、やってみて判断するのもようでしょう。(セラピストとの協働実証主義)

回避行動が悩みの原因ではなく悩みの結果である場合については次のような例があります。

たとえば、「人が恐い」というお悩みについては、人に近づくというエクスポージャーが考えられますが、それをしても幸せにならない場合もあります。たとえば、実はその人の「人が恐い」は人を傷つけてしまうという加害不安であり、「人を傷つけてしまう自分」というイメージがぼんやりと自分の中に残ってしまうことがあります。怖れている結果は外からではなく内なるものだったような場合です。その人に必要なのは、むしろ人のいない安全な場所で「うぉーっ」などと声や怒りを出してみて、誰も傷つかないということや、自分が爆発しても理性が消え去ることはないという体験することだったりします。それも内なる暴露と捉えることもできますが、それまで隠れていた感情があふれてくるのを受け止めてもらう必要があるかもしれません。そこを置き去りにして対人不安を治しても、その人の悲しみは形を変えて別の病気として表現されてゆくということもあるようです。

社交不安(らしき)の方の「人前で恥をかくことをわざとする」という行動実験(エクスポージャー+体験による認知修正)の手法もありますが、その背後に悲しみとともに刻まれた深い劣等感などを持っている人がそのような手法をすると、常に人前でおどけて「かっこ悪いんじゃなくて、わざとかっこ悪くしてるんです」と振る舞い続けないとやっていけないというような行動パターンになってしまうこともあります。つまり行動療法的なアプローチがその人の心の宿題をより緻密に隠すレパートリーを与えてしまうこともあるように思います。

演劇やスピーチを習って人見知りを治そうとした(そうして成果を得たようにみえる)けど、なんか心の奥に違和感(ほんとうの自分ではないような感じ)を感じると言って相談に来られるような方々です。

人前で話すということを何度もチャレンジして、「上手く話せなくても、危険はない、むしろ静かに応援してもらえる」という体験を重ねても改善しない人もいます。エクスポージャーと同様の挑戦を既に何度も試していて上手くいっていないなら、他のことをした方がよいかもしれません。

セラピスト探しのヒント

エクスポージャーをメインにしてよさそうな場合

頭の中で作り出しているイメージと回避行動が循環している場合がそうです。強迫症などがそうです。

そのような場合には、エクスポージャー専門とする人がもっている様々なテクニック、エクスポージャーのベテランだから気づくことが役立つかもしれません。上述のような「なんでも釘に見える」みたいなことも、むしろ役立つかもしれません。

具体的な回避行動、回避行動の能動性/受動性、強迫行動/強迫観念の種類によって、いろいろと細かいテクニックを知っています。乗り恐怖ならこんな方法があるとか、抜毛の強迫行動ならこんなワークがあるとか。

たとえば、吊革に触れてみる場合に「汚くないぞ」ではなく「汚いかもね」と思いながらするのがよいというコツ、強迫行動の動作を止める時には力を抜いてからというコツなどです。

このような場合は、エクスポージャーや行動療法の専門性の高いセラピストを検討するのもよさそうに思います。

エクスポージャーを何かと組み合わせる場合

エクスポージャーの説明を聞いて、「あ、そういうのは散々やってきました。やっても無駄でした」というのであれば、むしろその気づきが大切でしょう。やったことがないのであれば、アレンジ・アイデアの上手いセラピストとちょっとやってみてもよいでしょう。

逆にエクスポージャーをメインではなく補助として使う場合、つまり回避は結果として解消する場合は、回避を目の敵にせず、馴化を目的ではなく手段として用いるセラピストがよいかもしれません。

もし、ご自身の悩みが「回避」を目の敵にしても解決しないものでありながら、それでも何等かの馴化を必要とするものであるならば、エクスポージャー以外のアプローチをよく知っているセラピストが、それでもあえてエクスポージャーを提案するというところに重要な意味があるかもしれません。

他のセラピー手法の一部分として暴露メカニズムを使うのは統合アプローチの一種だと思います。実は感情の解放というようなセラピーも「自分の感情に暴露」していると捉えることができます。暴露の対象を対象物や過去の記憶だけでなく様々にアレンジできるセラピストもいます。

また、記憶への暴露については、そこで馴化(思い出すことに馴れる)というだけでなく、出てきた記憶を受け止めるのを手伝ってくれるセラピストである必要がある場合があります。そこでセラピストに求めらえるのはコンテイニングという力になります。

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