私たち開業セラピストは、私設に勤務する場合よりも、「この人とやりたい」と思われて申し込まれることが多いように思います。
それは、「分かってもらえそう」というようなものだったりします。
私の場合は、それは当事者側、サバイバーの視点があるからではないかと思います。それはなんなのか、書いてみようと思います。
サバイバーと支援者の視点の違い
悩みの当事者を生きたサバイバーというのは、カウンセラーなどの支援者とは違う世界を見ています。
専門家の書いた解説書というのは、たいてい悩みによって生じる苦しみが書かれています。「ACの苦しさ」「暴力被害者の苦しさ」とかですね。
当事者はそれを感じているのですが、克服へ歩みだした段階では別の苦しみと出会います。
克服することの苦しみです。
それは克服のクライマックスで、様々な形で現れます。
たとえば、ACや愛着不安定を克服しても、不本意な半生、それまでに過ぎ去った時間は取り戻せません。にわかにはピンとかないかと思いますが、悩みを克服することは、そのことと直面することでもあるのです。
未来を変えることであると当時に、変えられない過去と出会うわけです。
カウンセラーなどの支援者は、悩みが消えることを目指し喜びますが、当事者はそれと引き換えに様々な苦しみを味わいます。
過去を諦める/手放すとは
過去を諦めて、未来を諦めない。
過去を手放して、未来を手に入れる。
克服とはそういうものでしょう。
多くの人は、過去を「諦める」「手放す」と聞くと、過去を忘れる、過去から目を逸らすことだと思ってしまいます。
ですが、逆です。
過去は、ちゃんと見れば、それは変えられないということが分かってしまいます。
ですから、過去を忘れようとしている人ほど、過去を変えようとしているとも言えます。
よく克服前の人が過去について「諦めた」と言いますが、諦めていない場合が多いです。過去を諦めたと言っていますが、詳しく聞くと未来を諦めていたりします。
ほんとうに諦めた人は「諦めた」という言葉は使わないようです。本当に諦めていれば希望に満ちているはずですから。
多くの場合、過去を否定している人は、未来を見ているのではありません。別の過去を見ようとしているのです。
克服前の生き方というのは、過去の苦しみを避け、未来の幸せを求めます。克服後の生き方は、過去の苦しみを引き受け、未来の幸せを求めます。過去から逃れるための空想未来ではなく、現実の未来です。
これは、過去の記憶にアクセスするタイプの心理セラピーが常に良いと主張しているわけではありません。
また、普段から過去のことを頻繁に思い出す生き方がよいと言っているのではありません。
むしろ、結果的には逆でしょう。
それが言える心理セラピスト
サバイバーが知っているのは、克服することの苦しみです。
ACだとか被害トラウマだとか、それらの苦しみチェックリストに載っていないもの。
克服することは、ある種の痛みを持っているのです。
そんなことを言うと、「悩んでいる当事者がよけいに苦しむじゃないか」と批判されそうです。
しかし、私はそれを言っても当事者から嫌われないセラピストになりたいと思っています。
実際のところ、当事者からは「初めて分かってもらえた」というように言われます。
多くの治療的な支援者は、消える苦しみしか見ないです。引き受ける苦しみについて「分かってもらえた」となるのでしょう。
施設職員のような、共に生きる支援者たちは、もしかしたらサバイバー視点に似ているかもしれません。
また、昔ながらの傾聴カウンセラーなんかも。