「寄り添う」という言葉がとらえどころない理由。それは、「なにかをすること」ではなくて、「なにかをしないこと」だから。
優しい言葉をかけるとか、相槌をうつとか、「なにかをすること」ではないからだと思います。
試しに私が疾患を持つとか被暴力経験を持つとか、開示したとします。瞬時に人は態度を変えます。それは一言でいうと見下した態度になるのです。
そこに上下の関係を生み出します。「下に見る」のです。
別の言い方をすると、「いい人になろ」モードにスイッチが入ります。
何十人もの支援者に相談をしてきた経験から、これが「寄り添わない」ということの本質だと思います。
このような人ちちはどこかで、しょせん他人事だと思っています。それが「寄り添わない」ということの本質だと思います。
それが分かると、「寄り添う」が分かると思います。
「下に見る」をしないことが、寄り添うということ。
アドラーは「横の関係」と呼びました。
だとしたら、寄り添うことのハウツーはないわけです。
寄り添われなかった体験と、寄り添われた体験が、寄り添いかたを教えてくれます。
そもそも人を下に見るのが好きな人が「支援」なることに興味をもつわけですから、支援者が寄り添うことは滅多にありません。
それは支援技術(ハウツー)ではないからです。
寄り添う人が支援職をするというのは、たとえばこんな感じかもしれません。
「普段は寄り添っている。支援の作業中に、あえて寄り添わない自分を自覚する」
普段は隣に座っていて、ある瞬間に「私、立ち上がって、上からあなたを見下ろすよ」ってやるわけです。
心理セラピーなどでは、そこから必要に応じてまた降りてきたりします。が、もともと隣の席にいなかった人は降りてくることができません。
それは「降りる」ではなくて「戻る」だからです。