決めつけないカウンセリング/分析するカウンセリング

カウンセリングやコーチングにおいては、昔から「評価・判断しない(ジャッジしない、決めつけない)」ということが言われます。

精神分析を嫌う専門家がいるのも、精神分析で評価・判断されたことがプチトラウマになっている背景がよくあるようです。

なんですが、「評価・判断しない」と強調する支援者ほど、なんか押しつけがましいという感想も聞かれます。

「評価・判断しない」を連呼する人がやりがちな例としてこんなのがあります。

相談者「睡眠の手法ではなくて理論を勉強をしたら、眠れるようになりました」
支援者「あなたは思考型だから、理屈からはいるとよいのですね」

これ、かなりの決めつけです。

よくよく後で聴いてみると、相談者は「惰眠をむさぼることは悪いこと」というような、睡眠に対する罪悪感みたいなものがあったようです。そして、睡眠についての理論を学ぶことで、「睡眠は必要なこと、良いこと」と思えるようになったようです。

「思考型だから」ではなかったんですね。

では、仮説や推測を提示することがいけないのでしょうか?

あるいは、決めつけずに仮説や推測や意見として言えばよいのでしょうか?

こういうのもよくあります。

支援者「これは私の意見なんですけど・・・あなたは思考型だから、理屈からはいるとよいのですね」

実はこういう前置きをしても、相談者への影響はあんまり変わらないようです。支援者が個人的にどう思うかなんて、どうでもいいことですから。

免罪符を付けただけって感じです。

では、なにも言わずに、頷き・相槌・オウム返しだけのカウンセリングが良いのでしょうか?

ちょっとマシですが、解決志向の相談者にはあまり評判よくありません。

私の心理カウンセリングでは、分析や見立てを言います。最初は相談者のことではなくて、類似ケースの一般論から。だんだんんとケースが見えてきたら、仮説を提供します。

ただ、それは今後の進め方を選ぶために、どのような見方をするかの選択の作業です。

「あなたは思考型ですね」が今後の進め方を決めるために参考になるかってことですね。

おそらく、見立ては、決めつけないではなくて、感想でもなく、作業仮説なのだと思います。

※当サイトの記事には実践経験に基づく意見や独自の経験的枠組みが含まれます。また、全てのケースに当てはまるものではありません。ご自身の判断と責任においてご活用ください。

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