心理セラピストやカウンセラーに分かってもらえた感じというのは、どこからくるのでしょうか? いくつかのパターンを挙げてみたいと思います。
複雑な話を理解してもらえた
これは、どちらかというと、ちゃんと聴いてもらえたという感じかもしれません。人に相談しても、問題の本質が理解されなかった人が、やっと理解されたときに起こります。誤解されやすい話、「私は悪くないんです」などですね。
見立てや解釈に納得した
「それはこういうことではないですか?」と言われて納得する場合にも、分かってもらえた感じがします。
気づきのプロセスに伴走してもらえた
こちらも納得によるものですが、気づきを促すワークなどを提供されで、ご自身で気づくというプロセスが起きた場合です。そのプロセスに同席したセラピストに分かってもらえたような感じがします。実は分かっていないかもしれませんが、分かったということを分かってもらえたという感じでしょうか。
同じ体験を知っている
これは心理セラピストが同じような体験をしたことがあるため、お互いに「あ、それです。そうそう」のように話が合う場合です。
「理解されない」を通して繋がる
こちらもセラピストの当事者体験によるものですが、必ずしも同じ体験をしたわけではありません。心理セラピストが「理解されない」ということがどういう感じなのかを知っているということです。
当事者体験がなくても分かることもあれば、当事者体験がなければ分からないこともあります。
「当事者体験がなければ分からないこと」の当事者になった経験が十分にある人は、「当事者体験がなければ分からないこと」があることを実感覚的に知っています。「あるでしょうね」ではなくて、「ある!」と知っているのです。
「セラピーやカウンセリングには当事者体験は必要ない。それは医師が癌の治療をするにあたって、癌になったことがなくてもよいことと同じだ」などと言う専門家は、「当事者体験がなければ分からないこと」の経験が多くない(または、自覚がない)のかもしれません。
「当事者体験がなければ分からないこと」があると自身の経験によって知っている人は、自分の体験以外にも「当事者にしか分からないことがある」という実感覚があります。クライアントの体験に近い領域にその実感覚がセラピストにあれば、クライアントと同じ経験をしていなくても、ある種の分かってもらえた感じがします。
それはクライアントがセラピストの「分かってもらえない」の扱い方を察知することと関係あるかもしれません。