差別・偏見をなくすには、義務教育に社会心理学を導入する必要があるのではないでしょうか。道徳で「差別・偏見はいけませんよ」と教えても、それを防ぐことは出来ないでしょう。「なぜ差別・偏見は起きるのか」を教えなければ、差別・偏見は防げないでしょう。なぜなら、差別・偏見は心理的な自然現象であり、脳の仕組みからの必然だろうからです。
様々な争いや暴力を見聞してきましたが、加害側にとってもメリットのない攻撃、すなわち差別・偏見というものが人間社会には根強くあるようです。差別はある面では自分の利益を守っているエゴのように見えるかもしれませんが、その根底には「偏見」という錯覚があります。
生存競争と違って、錯覚による攻撃は学ぶことで克服できるように思います。
認知的不協和
偏見の根底にあるのは認知的不協和です。これは自分が信じていることと、与えられた情報の間の不整合です。
フェスティンガーは『予言がはずれるとき』という著書で、予言が外れても信者の信仰が強まる例などを挙げています。
すなわち人には「自分の信じていることに辻褄が合わないことが起きると、それを否定する」という性質があるのです。
この心理現象の脳科学的な読み解きは後述します。
ところで、認知的不協和理論に限らず、この「自分が信じていること」を心理学や脳科学では「信念=ビリーフ」と言います。
※一般語の「信念」の、生き方の方針みたいな意味でありません。
外集団差別
差別のメカニズムを心理面から説明するものには、外集団差別があります。外集団とは「自分たちとは異なる人たち」のことです。自分たちと異なるというだけで、その相手が悪に見えるということです。
「自分たちは特別に優れている」というビリーフや、自分たちの流儀を揺るがす認知的不協和が起きていると解釈できます。
宗教戦争や学派争いは外集団差別の例でしょう。
多様性排除の根源でもあります。
一部の医師の例
かつて、医師(とくに精神科医)は「臨床心理士は医師でもないくせに生意気だ」「心の問題は薬で全て治るのだ。カウンセリングなんてくだらない」と言っていました。
心理の勉強会のディスカッションでも医師が「俺は医者だぞ」と声を荒げる場面を何度か見たことがことあります。
※最近はそうでもない医師が増えているようです。なぜそうなってきたかの考察は割愛します。
一部の心理士の例
医師から差別されてきた臨床心理士ですが、その心理士たにもまた、「心理学部で学んだ人のカウンセリングしか認めないとい」という、同じ構造の差別をしはじめました。
大学で学んだ心理士は「自分は大学で心理学を学んだからカウンセリングが出来るのだ」と思っています。転じて「大学で学んでいない人にはカウンセリングは出来ない」というビリーフを生みます。(「逆は必ずしも真ならず」という論理エラーなのですが、心理士カリキュラムに論理学はないので)
そのビリーフをもつ心理士が、大学では学んでいないけどカウンセリングをしている人(たとえば、高卒カウンセラー)がいることを耳にすると、認知的不協和が生じます。脳が「おかしい、おかしい、そんなはずはない」と反応するわけです。
そうなると、怒りまたは錯覚が生じます。
高卒カウンセラーが悪人であるように見えるという錯覚が起こります。どんな人なのか会ったこともなくてもです。これが偏見です。
ある心理士は「高卒の人がカウンセリングするなんて許せない」と言いました。
また、ネット上で陰湿な嫌がらせメッセージを送ったり、SNSでネットリンチをしたりする心理士もいました。(偽計業務妨害という犯罪に該当しかねません)
錯覚というのは、知覚(入力情報の解釈)が歪んでしまうということです。高卒カウンセラーの失敗談を耳にすると「ほらみろ、ダメじゃないか」と捉え、心理大卒カウンセラーの失敗談を耳にすると「難しいケースを担当したんですね」となります。
実は心理士が行っている差別・偏見・攻撃は、心理面でみると、かつて医師が心理士に対して行っていたものと同じ構造です。
心理の専門家だと思われている精神科医や心理士でも、まんまと認知的不協和、外集団差別に心を操られてしまうのです。
おそらく、利益独占だけの心理ではないと思います。
トランジェンダー焼身の例
ある国では数年前にトランジェンダー(性的マイノリティ)にガソリンがかけられて、命乞いしても焼き殺されました。
認知的不協和を解消する究極の方法は、その存在を人物や集団ごと抹殺することです。
イニシエーション効果
医師になるには、膨大な勉強をし、インターンでしごかれ、大変な苦労があります。ですから、それと同じ苦労をしていない人が人を救うなんていうことには、認知的不協和が起きたのでしょう。心理士の例も同じで、「大学にも行ってない人がカウンセラーを名乗るなんてズルい」という声が聞かれました。
このように、苦労するほど強いビリーフ、強い認知的不協和が生じます。そのような苦労をイニシエーションと言います。
会員になるために苦行を課されると、会員であることに誇りを持つようになるのです。たとえ苦行が無駄な苦行であったとしても。
高い学費を払うとか、スーパービジョンで叱責に耐えるとか、そういうのもイニシエーションになります。
勉強した内容の良し悪しではなく、厳しさが「自分たちだけが優れている」というビリーフを作るわけです。
「厳しい訓練を受けた専門家」という言葉には、イニシエーション効果が隠れています。
厳しさから学ぶことはあります。「自分たち以外に優れた人はいないはずだ」という外集団差別に結びつくなら、それは高い専門性ではないでしょう。本当の専門家なら、別のルートでもそれが学べることを知っているはずです。
脳の予測誤差最小化原理
ここで認知的不協和を脳科学的に見てみましょう。実は、この現象は心というよりは脳、すなわちハードウェアに原因がありそうなのです。
認知的不協和による説明は「そんなの認めたくなーい」という気持ちが無意識に働いているかのような印象を受けるかもしれませんが、そもそも非意識レベルから起こり始めます。
知覚や反応行動はビリーフに支配される
たとえば、あなたの目の前にPCがあります。目を閉じて開けたらPCが消えていたという場面を想像してください。
これは「PCがある」というビリーフと、「PCがない」という知覚が矛盾した場面です。
そこで、あなたはキョロキョロしたり、目を擦ったりします。それは知覚を変更しようとしているのです。
なかなか「PCがなかった」というようにビリーフの方を変えようとはしません。つまり、ビリーフと知覚が矛盾すると、よほどのことがないかぎり、人は知覚の方を変更しようとするわけです。
心理士の例
「心理大学卒じゃないとカウンセリング出来ないはずだ」というビリーフを持つ人にとって、高卒のカウンセラーを見ることは、ビリーフと知覚が矛盾する場面です。ビリーフと知覚が矛盾したら・・・・「そうか、高卒でもカウンセリングできる人がいるのか」とビリーフを変えることはせず、「きっと質の悪いカウンセリングをしているに違いない」と知覚の方を変えるのです。
ここで大事なのは、実際にその高卒カウンセラーのカウンセリングを見たわけでもないのに、さも実際に見たかのように「質の悪いカウンセリングをしている」と”知覚”するのです。
ちなみに、私がかつて受けたカウンセリングで最も役に立ったカウンセラーたちは高卒でした。
つまり、ビリーフに合わせるために知覚を歪めるのですが、その自覚はない(非意識レベル)のです。
差別・偏見には自覚が無い
影の中の灰色が白く見えるときに、「影の中にあるからこの灰色は白に違いない」と推測している自覚はありません。非意識レベルだから、目の錯覚が起きるのです。
このことが、私が差別・偏見を錯覚と呼ぶ理由です。
ある国ではトランスジェンダー(性的マイノリティー)がガソリンをかけられて火で焼き殺されました。きっかけは、誰かの腕時計がなくなったので、「あのトランスジェンダーが盗んだにちがいない」ということになったのだそうです。おそらく、「盗んだにちかいがい」ではなく、「盗んだ」と、彼らは確信していたでしょう。
人の脳は自分のビリーフが作り出した推測と、実際に確かめられた事実を区別できなきのです。
目の錯覚で、長さの同じ2本の棒の長さが違って見えるでしょう。それは本当にそう見えるのです。
ですから、差別している人は「差別なんかしていない」と言います。
目の専門家だから目の錯覚が起きないなんてことがないのと同じく、心理の専門家も差別偏見にまみれています。目の専門家はそれは錯覚があるとメタ認識で出来るかもしれませんが、多くの心理士は残念ながら出来ません。まだ、心理業界は心の専門家ではないのです。
