なぜマニュアル化されない心理療法があるのか?

感情体験を重視する力動的なセラピー、本人主導を重視する人間性アプローチというのは、手順よりもセラピストの生き様などが影響を与えやすいものです。それゆえ、マニュアル化、標準化しにくく、さらに効果検証、エビデンス研究が困難です。

そのことを具体的なイメージで説明してみましょう。

例1:マニュアル化すると効果がなくなる心理セラピー

例えば、心理セラピーの後半、クライアントが葛藤に触れたうえで、未来への意思を持つ必要があるフェーズで「幸せになりたい」ということが言えないという場面。「僕は幸せにならなくていいんです」と言いながら、閉じこもってしまったとします。

涙は「幸せになりたい」と言っているけど、言葉は「幸せにならなくていい」と言っている。普段の会話と違って、葛藤が全面に出てきているので、ご本人の願いを叶えるためにそこを抜け出すお手伝いをします。

そこで、俯瞰のイメージワークを勧めることがあるでしょう。幽体離脱のようなイメージで、その席を立ちあがって振り返り、その席で「僕は幸せにならなくていいんだ」と言っている自分を眺めてもらうわけです。

セラピストが「どんなふうに見えますか?」と尋ねると、「幸せになってもいいんだよ、って言ってあげたいです」となったりします。

そのようにして葛藤を乗り越える、すなわち自分の本当の気持ちを実感するに至るわけです。

これはセラピストの直観的判断によって行うものです。総合的に状況をみて、俯瞰のイメージワークが求めらることを感じ取るわけです。

ですが、この手順を暗記して真似したら何が起きるでしょうか? 「クライアントが、言葉による否認を行うことで葛藤が停滞したときは、俯瞰のイメージワークをするべし」みたいな。

「さあどうだ、あなたの言っていることは嘘だということが分かるでしょう」みたいな気持ちでセラピストが指示したら何が起きるでしょうか?

クライアントの防衛反応は複雑化して、迷宮入りします。効果が変わってくるわけです。

とくに「マニュアルに書いてあるからそうする」という態度が悪い結果を招くことがあります。

となると、手法をマニュアル化して一貫化しないと実験法も成立しにくいでしょう。無理に実験検証すると、「効果がなかった」とか「逆効果だった」というような研究結果が得られます。

感情焦点化や力動的なアプローチなどはエビデンスの蓄積が難しいとうことになります。

傾聴アプローチなんかも形骸化すると、話を聞いてくれるだけで何も解決しないなんてことが起こります。訓練が足りないからというより、マニュアル化したからという印象があります。

ロジャーズも「私の教えていることは、後の時代にすぐ形骸化して本質を失うだろう」というようなことを書き残しています。

例2:「誰がするか」によって変わる心理セラピー

たとえば、クライアントが苦しい過去の体験を語ったとします。それに対してセラピストが「よかった」とか「ありがとう」と言うことで、クライアントが恒久的な癒しを得る場合があります。

しかし、一般的には苦しみの体験に対して「よかった」というのは、とても酷い言葉となるでしょう。災害被害者などの支援ガイドラインでも「助かってよかったね」などとは言ってはいけないとされています。

ところが、セッションの場の状態ができていて、セラピストが同様の苦難を生き延びたサバイバーである場合には、その言葉の意味が「生き延びてくれてありがとう」という意味だということがクライアントには判るものです。

「よかった」は他者から押し付けられるべきものではないので、たいていはクライアントを傷つける言葉です。ですが、サバイバーが言う「よかった」は間主観的なもの(「私たち」の視点)なので、語りかけであると同時に、率直なセラピストの気持ちでもあるのです。

このようなことが起きたとき、Kojunのクライアントは「はじめて分かってくれる人に出会えた」と言います。クライアントが出会ったのは手法ではなくて「人」です。

あまり臨場感のある具体例になってないかもしれませんが、感情を扱うアプローチではとても意外な言葉がけが行われることがあり、誰が言うのかによって全く意味が変わってしまうことがあるということです。

別の例としては、性暴力被害者のセラピー中のある場面で「あなたは汚くない」「わたしは汚くない」などという言葉が有効に働く場合がありますが、それを言う(または言うように促す)のが男性セラピストか女性セラピストかによって起きることは異なるでしょう。Kojunのような性別越境者ならさらに違います。また、同様のトラウマを克服した経験者が言うのではさらに異なるでしょう。

幼少期の酒乱のお父さんのイメージに怯えるクライアントにセラピストが安心感を与えると「こわいんだよバカヤロー」と叫んでトラウマが解消することがあります。それを狙って誘導をする積極技法もあります。その誘導が正解だったとしても、電車の中で人に迷惑をかけている酔っ払いに対して毅然とした態度をとったことがないようなセラピストが「怒っていいんだよ」と誘導してもあまり上手くいかないでしょう。スカイダイビングしたことがないトレーナーにスカイダイビングの指示されるみたいな?

これらのような「誰」に依る心理セラピーも実験検証が困難です。強力なアプローチであるからこそ、無理に実験検証すると「効果がなかった」とか「逆効果だった」というような研究結果が得られます。

よくもわるくも

そんなわけで、よくもわるくも感情焦点化や力動的なアプローチは効果検証が難しいようです。

実際に再現性は低いと思ったほうがよいでしょう。

セラピストからみても、「あ、これ上手くいく」と思って同じことを繰り返しても、だんだんと再現性がなくなってゆきます。

常にその場で発明や発見し続ける必要があるのです。

ですが、その再現性のなさみたいなところも、実は残しておく必要があるように思います。

だからこそ深い心理の問題を扱えますし、本当の安心感や癒しを得ることもできます。

エビデンス研究というのは、成果の数は評価しますが、成果の深さはあまり評価しません。

最近の統合アプローチは、分析的な見立てや、ケースフォーミュレーション部分のマニュアル化などにより、再現性の低さを改善しています。

また、感情焦点化、力動的アプローチ、人間性アプローチなどはマニュアル化を超えたところに本質があるとはいえ、それぞれに基本の型みたいなものはあります。ですので、基本の型の部分についてのみのエビデンスなんてものも出て来るかもしれません。でも、それも検証しやすい手法と組み合わせた統合アプローチでしょう。

参考

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