感情の解放ってなに? 「怒り」編

体系的に正確に説明するのは難しいのですが、少しでも誤解が解ければということで書いてみます。

※「解放」という用語は独自の定義枠組みで使っています。

よくある誤解

なによりも最初に指摘しておかなければならないことは、「怒りを表出することで怒りをおさめる」のが怒りの感情解放セラピーではない(とはかぎらない)ということです。

「怒りが止まらないんです」という相談者に対して「怒りを出してスッキリしましょう」と提案して怒りが増幅してしまうという失敗をよく聞きます。

原則として、怒りの解放は「怒りが出にくい人」(自分の怒りを感じることが出来ない人)のためのものであって、怒りの感情に悩まされている人に怒りの解放を勧めることは(意外と)多くはありません。

ガス抜きとの違い

おそらくこの誤解は、怒りの解放をガス抜きだとイメージしてしまうことによるものかと思います。「愚痴を聴いてもらったらスッキリした」みたいなやつですね。これは誰かに理解されることに意味がある体験のことであって、表出(強い声を出すとか、鼻息を強く吐く、腕を振り下ろす筋肉動作をするなど)は必要ありません。

一方で、怒りの解放は表出を使います。聴いてもらうことは補助的なことなので、「聴いてくれる存在」は必須ではなく、コツをつかめば慣れたら独りでも出来ます。ただ、コツをつかむまで、解放とはなにかを理解するには習う必要があります。理解するまでは、独りで激しい動作はしないでください。

ブチ切れるとの違い

見学者から見ると「怒りの解放で怒りをおさめている」かのように見える心理セラピーもします。でもそれは実は違うことをしています。

たとえば、被害トラウマのような場合は、毅然とした態度(正しい怒り)の練習をすることで、ブチ切れる(不適切な怒り)を減らす(ようにみえる)ことがあります。しかし、その場合のテーマは怒りではなく恐怖です。

つまり、ブチ切れているのは恐がってパニックになっているような状態なので、その恐怖を処理してから、怒りを解放(というか、練習)します。

たとえば、肩揉みセクハラ上司に対してブチ切れが込み上げてくる。しかし、上司に「やめてください」と言っているかというと言えてない。つまり、ノーと言う勇気が挫けているのですから、起きていることは恐怖です。なので、恐怖の解放という(ちょっとこれは独りでは出来ないと思ってください)別のセラピーをしてから、ノーと言う練習として怒りの解放をします。ノーと言える自身がつくとブチ切れなくなるというのはイメージできるでしょうか。

感情検索としての怒りのワーク

「怒りが出過ぎて困っている」と言う人に怒りの解放のようなワークをしてもらうことも実はあります。それは怒りの言葉を吐いてみることで、怒っている本当の理由がわかることがあるからです。これは解放はではなくて、感情検索、もしくは心理セラピストが観察するための実験的なワークです。

たとえば、正義のために怒っていると思っていたけど、本当は個人的な理由だったと分かるなどです。その場合は、本当の理由で怒ることが出来たことにより、偽の理由で怒る必要がなくなります。見学者から見ると、怒りを出すことで怒りが消えたよえに見えます。

いずれにしても、「怒りが止まらない」ってことは、何かが上手くいていないのです。それを解いてゆくのが感情解放でしょう。

増幅技法との違い

感情的になることを勧めるのが感情解放ではありません。怒ってる人をもっと怒らせるというのが解放ではありません。

ユング系やプロセスワーク、サイコドラマ(心理劇)などには、大袈裟に表現してみることで気持ちなどに気づきやすくなるという技法があります。ため息が出たら、大きくため息をついてみるみたいに。「腹立つなあ」と思ったら強い口調で言ってみると自分の気持ちがわかるかもしれません。そのような増幅技法もあります。

ただ、それは怒りの解放ではなくて、気づきの効果を狙っていることが多いようです。

微かな怒りを増幅させて怒りに気づくという心理セラピーの一場面もよくありますが、それはどちらかというと見つかった後に抑圧を解くイメージです。これは解放と言えるかもしれまん。

しかし、微かな怒りを見つからなければ増幅もできません。怒りの解放には増幅技法は含まれるとしても、怒れなくなっている原因を解くことが先決です。

感情コントロールとの違い

怒りの感情コントロールは、行動化(人を攻撃してしまうなど)を避けるための応急処置であることが多いでしょう。

感情コントロールに関する手法には、もともと傷害事件の加害者が裁判所の命令で参加させられる改善プログラムがルーツになっているものもあります。それらは社会に迷惑をかけないという目的がルーツです。もちろん自身のための対処技術にもなるでしょうけど、ちょっと癒しっぽくない印象もあります。

それに対して、「怒りの解放」は基本的には「隠れた怒り」「抑えられた怒り」「失われた怒り」に対して行われます。抑圧されていないものを解放するとは言いませんから。

「隠れた怒りを解放する」という考えはありますが、「隠れた怒りをコントロールする」「すでに出ている怒りを解放する」というのは妙な感じがします。

カウンセリングのご要望で「感じている怒りを解放したい」というのがありますが、それは「完了できない怒りをなんとかしたい」というお悩みかと思います。その場合はの答えは「怒りの解放」ではないことが多いです。

マインドフルネス

マインドフルネスは、ありのままに感情を受け入れるという意味では感情解放に近い側面もありますが、自動反応を行動化しないという意味では感情コントロールに近い側面もあります。

解放セラピーにせよ、感情コントロールにせよ、その準備段階としての状態づくりに有効だと思います。

学んでおいて損はないかと思います。

原始的な怒りとは

怒りとは動物が生き延びるために戦うための身体反応と関係している面があるでしょう。人間の場合はもう少し複雑かもしれませんが、その動物的な側面を原始的な怒りと呼んでみましょう。

原始的な怒りは戦うための身体準備だとすると、筋肉に酸素を届けることを促進するでしょう。ふんがぁーと鼻息が荒くなるのは酸素を取り込むため、顔が赤くなるのは血流が増えるためかもしれません。殴ろうとしているわけでなくとも、わなわなしたり、思わず立ち上がったりしますね。声が大きくなるのは威嚇のためでしょうか。

動物の世界ではそうなのだとしても、人間の世界では噛みつくことでは危機は解決しないので、言葉による攻撃になることが多いように思います。それすらも堪えると、抑圧状態となると考えられます。

これは一部のセラピストの間での経験測にすぎませんが、怒りを抑圧している人は循環器系の疾患になりやすいとか、喉がヘンになるとか言われています。

では、解放するために人を攻撃すればよいのかというと、そうではありません。その道を選べば個人も人類も滅びるでしょう。怒りの抑圧は人間にとって必要なことでもあります。

隠れた怒りの解放

たとえば、心理セラピーでは、悲しみの奥に隠れている怒りなどを解放します。

たとえばですが、死別した相手に対する「どうして一緒に夢を実現しなかったのよ」というような怒りです。その怒りは愛とも呼べるかもしれません。

しかし故人に対して怒りを表現することは文化道徳により禁じられているために、それは抑圧されているのです。

ですから、怒りの表出というワークを行うのです。

このような例は、怒りは攻撃ではないということも教えてくれます。

「怒りの解放」を批判する意見を読むと、たいていは攻撃のことを怒りと呼んでいます。怒りの表出とは、相手にたいして暴言や暴力を届けることであるという前提になっています。後述するように、少なくとも心理セラピーにおいては、怒りの解放は攻撃ではありません。

表現手段を与える(エネルギーとして解放する)

もし、あなたが沸々と湧き上がる怒りの出し方を探しているのであれば、これは実行しないでください。

また、精神疾患がある場合も控えたほうがよいでしょう。

隠れた怒りを解放するという意味では、怒りに表現手段を与えるという方法が可能です。

それは主に筋肉を動かすことです。怒りのルーツは逃走or闘争ですから、筋肉を使うための心的エネルギーともいえるでしょう。ですから、腕を振るなどの筋肉動作で解放が起こります。

ただし、怪我をしないようにしてください。モノを殴るなどは危険です。

説明しておいてなんですが、ご自身で怒りの解放をやることはお勧めしません。

ご自身で「怒りを解放しなきゃ」と思っているということは、大抵それは「怒りの抑圧」ではないからです。

怒りが抑圧されている人は、自分の怒りを自覚できませんから、心理セラピストに言われてやってみるという感じになります。

また、後述するように、本人が怒りだと思っていることが、その正体は悲しみや恐怖であることが多いです。

怒りと攻撃を区別する

怒りの解放ワークは、怒ることは攻撃することと同じではないということを学ぶことでもあります。

よくある誤解として、怒りの感情解放は攻撃的になることと思われていますが、心理セラピーのそれは違います。戦闘訓練ではありませんので。

怒りすぎる人も、怒れない人も、よくあるのが「怒らない」か「攻撃するか」の二者択一になっていることです。

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「怒るけど攻撃はしない」という第三の選択肢を手に入れる必要があります。攻撃することによってしか怒りの解放が出来ないというのは深刻な病です。でも、悩みをもっているとき、多くの人がそうなっています。

つまり、心理セラピーでは、怒りの解放によって、むしろ不必要な攻撃性を取り除いているわけです。

イメージワークでは怒鳴ったり喧嘩するようなドラマを演じることはありますが、それはイメージワークであることをクライアントも分かってやるわけです。ですから、心理セラピーの後で人を殴りに行っちゃったなんてことはありません。むしろ爆発しなくなります。

もう一つ、怒りを解放をイメージワークで行う意義は、実際の相手に会いに行かないという意味も含んでいます。実際の相手に直接対決に行くという実践の話もあるようですが、Kojunはお勧めしていません。実際の相手に会わなくても感情のワークはできるし、それを覚える方が今後のためのスキルとしても有益だからです。

実際の相手に会って対決することのデメリットは、こじれるリスクがあるということ以外にもあります。まず、怒りと攻撃の区別を学ぶことが難しいということです。実際の相手(反撃や無視が想定される)を目の前に「怒るけど攻撃しない」とか「キレずに怒る」というのはとても難しいからです。それが出来るくらいなら怒りの解放ワークは必要ないでしょう。

もう一つは、怒りや攻撃で相手が変わってくれた場合に、本人は心理的報酬を得てしまうので、相手を変えたいときに怒りや攻撃を使うという癖を自分に教えてしまうリスクがあります。それは正しい怒りを離れ攻撃依存へと寄ってゆきやすいです。

実際の相手に対しては、「怒ることもできるし怒らないこともできる自由な自分」による「毅然とした態度」を実践してゆくことをお勧めします。

また、参考までに逆の視点ですが、虐めや捕食(人間の場合は狩猟)は攻撃ですが怒りを伴う必要はありません。捕食動物が捕食行動をする場合の脳の状態は「怒り」ではないことが脳科学的にも知られています。

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その観点から捉えると、感情処理の心理セラピーで扱う怒りは「攻撃」というよりは主に「防衛」に近いものと考えることもできます。すなわち、「No」と言う力ですね。

怒りが増幅する場合

「怒りを発散しましょう」という指示をされて、紙に書いたり、話したりしたけど、どんどん怒りが増えるんですというのを聞きます。おそらくそれは「抑圧された怒り」ではないということです。

増幅するようなら止めましょう。

「鳩小屋の扉を開いて鳩を解放したら、鳩の数が増える」ってことは、解放になっていないのです。

本当の怒りを知る

心理セラピーでは本当の怒りが見つかる場合があります。本人が自覚している怒りの理由と、本当の理由が異なっていたという場合です。

これに気づくには人の助けが必要かもしれません。あるいは、自分の声を録音して客観的に訊いてみるのもよいかもしれません。

悲しみを解放してから怒る

まあこれは「怒りは二次感情」と言われるように、悲しさを怒りで表現しているケースです。「本当は悲しい」と言ってみると隠れた悲しみが見つかる場合もあります。Kojunはクライアントの様子から「こんな悲しみかもしれませんよ」といくつか可能性を挙げることもできます。

その場合は必要なのは悲しみの解放かもしれません。

ですが、悲しみが見つかったあとに、やはり怒りを解放する必要がある場合もあります。すなわち、悲しみをちゃんと実感したうえで、そして悲しみがある程度完了してからの怒りの解放です。

悩みをもつ人は、悲しむべきときに怒り、怒るべきときに怒らないですから、心理セラピストのガイドが役立つわけです。ですが、心理セラピストはなにをしているかというと本人の気持ちについていってるだけだったりします。

なんだか不思議ですね。

参考

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※当サイトの事例は原則として複数の情報を参考に一般化/再構成した仮想事例です。

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