感情の解放について書いてみます。今回扱う感情は「恐怖」です。
感情のコントロールとの違い
恐怖の感情コントロールの究極は、回避・麻痺になりえます。トラウマは過剰な感情コントロールの結果とも言えます。ですが、その回避・麻痺は緊急対応としては自然なこととも言えます。
慣らすことは解放ではない
「恐怖対象に慣らす」ということは「恐怖の感情を解放する」こととはちょと違います。
慣らすことは「暴露」とか「馴化(慣れる)」というもので、「解放」とはあまり言わないように思います。
これは、「本来は恐くないもの」に対する恐怖の場合に成立します。これをKojunは恐怖症と呼びます。
カラオケ店で殴られた経験のある人がカラオケ店を恐がるとうようなケースです。これはカラオケ店に近づいたり行ってみることで慣れてゆくとう解決の可能性があります。慣れるというのは「本当は恐くない」を体験することです。
しかし、殴られることに対する恐怖は「本来は恐くないもの」ではないので、逆に「恐くてもいいよ」というセラピーをします。それが次項の「恐怖感情の解放」です。
ただ、ショックトラウマ(広義PTSD)などについては「殴られた記憶」が「本来は恐くないもの」に相当することがあります。つまり、記憶というものへの恐怖症になっているわけですね。ですから、思い出すという行為に対しては慣れるというアプローチは可能でしょう。
また、対人恐怖については「本来は恐くないもの」と「恐くて当然」の二面があります。カマキリに噛まれても人間は平気ですが、人間から攻撃されると本当に危険なこともあります。ですから、人間は「本来は恐くないもの」とは言い切れないのです。
ですから、対人的な恐怖については、単に近づく練習みたいなことをしても解決しないことが多いです。近づく練習(多くの場合は、ちゃんと人を見る練習)と「恐くてもいいよ」セラピーの両方を行います。
ちょっと応用的なこと
だだし、恐がることが苦手な人にとって、恐さを解放することは、「恐がることに慣れる」という意味で慣れる(暴露・馴化)というプロセスが含まれることがあります。それは恐怖対象に慣らすのではなく、恐がるという体験に慣らす、恐かった記憶に慣らすというものです。
恐いという感情の解放
身体反応と連動していることを知っていると参考になるかもしれません。
Kojunの経験則では、それは動物が危険に遭遇したときに、敵に見つからないように隠れるということと関係しているように思います。
隠れるというのは、気配を消して、動かないということです。背筋が凍るとか、ゾッとするという体温が下がるようなことは、血流を減らして気配を消すのだろうと思います。顔が青くなるというのもそうですね。
また、フリーズするとか、腰が抜けるというのも、動かないことを本能が指示しているのだろうと思います。
暴力被害の場合などは、事件のあと安全な場に移動してから、動けなくなたり立てなくなったりすることもあります。これは動物的というよりも人間的で、弱みを見せないように応急対応するために、動物的なフリーズ反応を延期しているのだと思います。
延期しっぱなしになることでトラウマになるという説もあります。つまり、恐怖の感情が抑圧されて完了していないということです。
身体反応と感情が連動しているということを考えると、安全な場所に移動してから腰が抜けるというのはトラウマにならないために完了を試みているとも考えられます。
これは安全が恐怖感情の完了を促すことも示唆していて、後述の「味方が必要」という心理セラピーの経験則とも合致します。
つまり、「恐怖の解放」というと、恐がらせるセラピーを想像されるかもしれませんが、逆に安全に思えるほど上手くいくわけです。
恐怖感情の完了
Kojunはよく「恐怖が役割を終えて過去形になる」と説明します。恐怖というのは危険場面における警報のようなものだと考えると、それは危険を知らせること、危険に対処する(逃げる・隠れるなど)準備をさせるという役割があります。
※恐怖の完了の試みは独りで深追いしないようにご注意ください。
ですから、それが危険だと承知した、それに対処した(安全を確保した)ということで完了に向かうと考えられます。
危険を承知したということに相当するワークは、何が恐かったのかを知ることだと思います。それを知らなければ恐怖の完了はしにくいです。
恥をかくことが恐かったのか、叱られることが恐かったのか、見捨てられることが恐かったのかなどです。暴力の場合は、何がお恐かったかは明らかなようですが、それでも特に声が恐かったとか、豹変したことが恐かったとかがあります。
そしてそれを知るには、恐怖を思い出して感じることでもあるので、独りでは難しいです。
ブレーキを少しずつ緩めるように
悲しみの解放であれば号泣なんてことをしてもよいのですが、恐怖の解放はゆっくり少しずつです。
少し感じて、通り過ぎるのを確認して、というようにコツをつかんでゆきます。
味方が必要
また、恐怖の解放には味方が必要です。上述のように、恐怖の役割を終わらせるには、心理的な安全が確保されることが必要です。ですから、恐がっても味方でいてくれる人、守ってくれる人のイメージが必要です。
味方は想像でも効果はありますが、できれば実際に近くにいるとよいでしょう。これが心理的イメージとして取り込まれたならば、ずっと一緒にいてもらう必要はありません。
少なくとも説教せずに守ってくれる人です。
安全確保の心理的イメージは、それが過去形になることと、味方がいることが大きいように思います。
「あのときは味方がいなかったけど、いまは味方がいる」というとうよに、味方と過去形が補い合うこともあります。
馴化(苦手な場面や記憶に慣らす)ではなくて解放(恐がっても大丈夫を体験する)を行うには、心理セラピストは「味方がいる」とはどんな感じなのかを知っている必要があります。
Kojunが受けたトレーニングではクライアント体験をして、仲間たちに見守られながら恐怖の解放を行います。それは「再び恐い目に合う」という体験ではなく、既に持っていた恐さを受け止めてもらう暖かく安心を得る体験でした。
すなわち信頼が前提となります。