Kojunのとこに性被害トラウマの相談があるのは、Kojunがダブルジェンダーであることも関係あるように思います。
※ここでは当事者クライアントが女性、加害者が男性というケースを前提とします。
男性性の必要性
女性の性被害トラウマのセラピーは女性でないと出来ないと思われがちですが、意外と男性セラピストを選ぶクライアントもいます。
私がかつて男性姿のプロフィール写真を掲載していたときも性被害トラウマのクライアントは来てました。
男性恐怖症のクライアントが男性セラピストを訪れるって話もよく聞きました。
おそらくですが、性被害トラウマの克服の鍵に「男性への信頼」みたいなものが関わる場合があるように感じます。
それは男性に近づいて慣れる馴化みたいな意味とは微妙に違っていて、もっと積極的な意味です。
性トラウマによる反動として性生活が乱れるみたいな意味でもありません。
イメージワークの中に「助けてくれる男性」をアシスタントを使ったロールプレイなどで登場させると効果があったりします。
「助けてくれる女性」」だと効果がいまいちなんですね。それは女性の腕力が弱いからというよりも、加害者が男性だからということに関係しているようです。
つまり、「守ってくれる強い人」以上に、「守ってくれる男性」に意味があるのです。
「なにぃ! そんなことする男はゆるせん!(怒)」って怒ってくれる男性に出会うことに意味があったりするわけです。
イメージワークでなくとも、男性が助けてくれたという実例をお話するだけでも、かなりクライアントの足腰がしっかりしてくることがあります。1
女性的なあれこれ
回避反応のこと
ひとつは安全って感じでしょうか。
もともと女性には男性に対して警戒する感覚があります。いきなり至近距離に来たら、トラウマがなくてもウワッてなります。
そういう意味では中性の人でもよいのかも。また、医師や整体師のように白衣を着てると大丈夫みたいなこともあります。
これらは男性というシグナルへの回避反応が起きにくいこととも言えるでしょう。
どちらかというと「男性は避けたい」という消極的な意味ですね。
健全な性の話ができること
もう少し積極的な意味での女性性もあります。その大切さをわかってくれることとでもいいますか。
たとえば、「汚れた」とか「大切なもの」とかの意味は男性にはよくわからないかもしれません。説明もしたくもないかも。
好きな人とセックスしたいけど、出来ないとかいうことについても。「出来ない」については男性セラピストも一定の理解はあるかもしれませんが、「したいんだけど」の部分がわからないように思います。つまり「大切なもの」ってところがわからない。
そこの心の整理をするには、性の喜びの話とかもできる方がよいです。「男の人って〇〇下着すきだよね」「うんうん、うちも彼もさあ」とか話してたかと思うと、うーって泣いたりもできるような場。
トラウマのせいで性生活が乱れるってことを克服するために、ほんとに欲しい性的なことことも語る人もいます。
Kojunは夜の街やアンダーグランドで、女性たちとへんな話をアレコレしてきました。
ワンナイトクルーズな話とか、マディソン郡の橋みたいな話とかも、聞かされました。普通の女性よりも話しやすいらしく。
悲しい性の乱れを手放して、まずは楽しい乱れ(ちゃんと男は選ぶ)へと変わってゆく体験を聞いたりもします。
楽しいって笑ったり、自分を大切にしはじめたって涙ぐんだり。
そんなお話は女子トークで盛り上がります。
支援団体の人たちが性暴力神話の一つとして挙げていましたが、被害トラウマの人は一生暗い気持ちで過ごすと思われがち。ですが、人生を楽しんでいる回復者も、幸せという解決像を持っている人たちもいます。
良いパートナーをみつけることや、良い性的関係を目指すクライアントも多く、どうやって好きな男性ときっかけをつくるかみたいな、恋愛話が性被害トラウマ克服と並行することもあります。
被害者は一生涯、性的なことは嫌いになるはずだみたいな固定観念もあります。性の喜びの話をしようものなら、へんな解釈をされそうになったり。
でも、本当に心を解いて癒やしてゆくなら、ムフフ話と涙と交互にしてゆくうちに、泣きながら笑ってるみたいになってゆくこともあるでしょう。
「治す」すみたいなのは、男性的な発想ですよね。それとはちょと違う女子っとしたセラピーもあります。
ちょっと余談
怒りを扱うイメージワークもしていますが、セラピストの個人的な恨みのために性被害セラピーしているわけではありません。
Kojunは、恨みや裁きのみのアプローチによって、意図ぜす加害者になってしまう人たちを減らせない悪循環が生じる懸念も法改正運動の関係者等に意見しています。(裁くことが目的でなく、未来を安全にすることが目的か)
「あのときあの子は本当は嫌だったのかもしれない」と涙を浮かべる男性などもいます。「そんなあなたは、いま性被害を目撃したら可能なら助けますか?」と尋ねると、「助けたいけど、自分には助ける資格がない」と言います。私は「助けていいよ」と言いたいです。