性暴力被害トラウマについて、アプローチを考えるために私がクライアントと話し合う観点を紹介します。
ここではあえて観点のみを挙げて、どの場合はどの手法がよさそうという意見は書かないことにします。
ご自身が何を望んでいるかを知るヒントになればと思います。何を望んでいるかを知ることで、克服・回復への行動がしやすくなることもあるかと思います。
どうなりたいか
どうなりたいか、すなわち解決像(どうなりたいか)の観点です。
神経反応的なことの改善を求める方と、信念・行動パターンを変えたい方がいるように思います。
神経反応的なことを解消したい
侵入症状(フラッシュバックなど)や覚醒度などのPTSD症状、パニック症などを解消して日常生活を取り戻したり、社会復帰を目指すというような場合です。
脳や体が不本意な反応をするような感じとでもいいましょうか。
人や世界への信念・行動パターンを変えたい
たとえば、「この世界は真っ暗だ」とか「私は汚い」とか「好きな人に冷たくしてしまう」とか「こそこそ生きている」とか「罪悪感がある」とかですね。(持続的回避や陰性変化の症状とも言われます)
これらは地味ですが、長期化して人生の足枷となる可能性があります。
また、性暴力被害に特有、各個人に特有の内容であることが多いです。
たとえば交通事故によるPTSD症状に「私は汚された」という認知の陰性変化はないでしょう。信念・行動パターンには、出来事に特有の具体性があるということです。
また、「罪悪感がある」もその人にとっての「罪悪感」ですし、解消もその人にとっての解消です。
Kojunの心理セラピーもどちらかというと信念や行動パターンを変えたいクライアントが多いです。
馴化か境界線回復か
これは体験のイメージとでもいうような観点です。馴化か境界線回復かの観点でクライアントに必要なことを考えています。Kojunの場合はこれで手法を選ぶというよりは、臨機応変にセラピーのウェイトを変える感じです。
馴化
記憶を語るなどして、それを思い出すことに慣れてゆくというプロセスです。
「そのことを思い出しても大丈夫になりたい」とか「急に思い出してしまうのが辛い」というような場合は馴化を重視します。
境界線の回復
境界線(バウンダリー)とは自分のテリトリーを守るバリアのようなものです。「なん人たりとも私の許可なく私の身体に触れてはならない」とうような信念のようなものです。ノーと言える力というと分かり易いかもしれません。
「嫌な相手が近づいてくるのを断れない」や逆に「過剰に人に反応してしまう」などの場合は境界線の回復を重視します。
ちゃんと怒れるようになる、そのために恐怖を適切に扱うなど、感情のワークを含みます。また、自己肯定感に関するセラピー技法を参考にアレンジする場合もあります。
標準化か個別化か
手法やセラピストの選び方については、
標準化された手法
1回目のセッションでは何をする、2回目のは何をする、というように、標準化(マニュアル化)されたパッケージ・プログラムがあります。
そのパッケージ・プログラムの中には、いくつかの小さな技法が含まれています。効果が出る確率が高い技法のセットと順番のような感じでしょうか。
方向性としては、どのセラピストがやっても効果があること、多くのクライアントに効果があることを狙ったレディーメイドですね。
パッケージ・プログラムにはPEとかCPTというような名前がついています。
支援者側としては、たくさんの人に同じ手法が適用できます。
個別性を重視
こちらはレディメイドですね。クライアントに合わせて臨機応変に手法をアレンジしてゆくスタイルです。
たとえば、Kojunの受ける相談で多いのは、性被害であっても、加害者が尊敬する人・愛する人であった場合などで、セラピーのプロセスがかなり異なります。二重、三重の問題が重なっている場合にも対応します。
※ケースの違いに対応することを重視した標準化されたプログラムもあります。
また、時間の使い方がプログラム通りか、柔軟であるかという違いだとすると、クライアントとの相性の差は大きいように思います。
標準化されたプログラムも複数の技法を含んでいますので、万人向け(最小公倍数)か、その人向け(オーダーメイド)かの違いかもしれません。
マニュアルから学ぶことを重視するか、クライアントから学ぶことを重視するかの違いかもしれません。クライアントに寄り添っていれば勝手に克服が進むという古風なセラピストがやっていることが、最新の標準メソッドとよく似ているということはよくあるようです。