「コンフォートゾーン(安心領域)の外へ出るんだ」とアドバイスする人がいます。それを迫られて、嫌になったことがありませんか? 分かっているけど、押したり引っ張ったりされると、なおさらダメになってゆく。
馴化に困難がある
コンフォートゾーンの外へ出るために、不安を押し殺して上手くいった人は、他人にもそのようにアドバイスします。
「コンフォートゾーンの外へ」という考えが上手くいくのは、コンフォートゾーンの外の世界に速やかに慣れることができる場合です。
いやゆる「案ずるより産むがやすし」とか「動き出したらラクになった」というものです。これは、恐怖や不安が幻想であったことが速やかに証明されるケースであったり、不快刺激に慣れる(馴化する)ことができる場合です。
しかし、アダルトチルドレン、対人トラウマ、愛着不安定などのように、心に傷がある場合は慣れることが難しいので、より恐怖が強化されてしまいます。
馴化のスピードが遅い、もしくは苦手場面に晒すだけでは馴化しない人がいるわけです。
セミナーなどで、対人不安やあがり症の人を大勢の前でスピーチさせるようなのをいくつか見学したことがあります。単に慣れていない人は上手くいきますが、まったく改善しない人も多くいました。
その場合の馴化は「誰も私を責めない」という体験によって得られるのですが、そのような人の場合は聴衆が黙って聞いているだけでも責められているかのような恐怖体験になってしまうのです。ですから、原体験(きっかけとなった過去の出来事)をリワークするか、聴衆とコミュニケーションを交わす脱感作を取入れる必要があります。
「気にするな」vs「気になるよね」
ある人は言います。「人がどう思うか気にしてはいけません。堂々とやりなさい」
そんなことは言われなくても分かっています。必要なのは「人がどう思うかは気になるよね」と言ってくれる人でしょう。
すなわち、馴化が生じるまでの耐久時間を少し伸ばしてくれるわけです。そして、一時退却も許してもらえる。
「コンフォートゾーン」という言葉は一時退却を否定した印象を与えます。
怖れている者(不安を認めたくない人)は強そうに見え、怖れを克服する者(不安を受容れる人)は弱そうに見えます。
怖れている人のアドバイスは力強いですが、小さなことを克服するときに役立ちます。
怖れを克服している人(不安を共感できる人)の存在は、大きなことを克服するときに役立ちます。
「コンフォートゾーンの外へ出ろ」と言われます。でも、出ろと言われるほど出れなくなる、という場合は、注意が必要です。
ところで、内なる自分に触れて、守りを解いたとき(正直にありのままを観たとき)、変化が可能になります。この状態は、変化が可能だけど、無防備な状態です。ここで、他人が何かを押し付けると、トラウマ的なことが起こります。
コンフォートゾーンと支援トラウマ
馴化のスピードが遅い人がコンフォートゾーンの外に引きずり出そうとされると、支援トラウマになってしまうことがあります。
無理やりの叱咤激励は拒絶しやすいのですが、心を開かせる技法を使ってから背中を押すというようなセミナーは拒絶するタイミングが難しくなることがあります。
カウンセリングの相談者で「私は心が開けません」という人には、このような経緯があることがあります。
背中を押さないでいるという能力も持っているのは、支援者として成果を出すことに拘らない人とも言えます。
信頼関係が出来ていない他人が家に勝手に入ってエアコンの修理をされるのは心理的に危険ということです。それをされると、エアコンの故障を隠すようになったり、修理を人に依頼できなくなったりします。
アドバイザーやトレーナーは善意のつもりなので、話し合うより離れるのがよい場合もあります。「本人のためだから強制してもよい」という行動は無意識に起こりますので、その性質がない(正解を知っているけど強制しない)人との出会いは大切にしてください。強制する人は、「私は強制はしない」と口では言いますのでご注意を。
「コンフォートゾーンの外へ出る」ことに強い抵抗がある人は、コンフォートゾーンの外へ出る勇気がないのではなくて、馴化のペースに配慮ない他人によって追い詰められるのが恐いのかもしれません。
そして、その別の問題はたいてい解く方法があります。