人の話したことに対して、反論したくなったり、言い負かしたくなったりする性質が強いと、体力も精神も人間関係も消耗します。
境界線が弱いと反論したくなる
たとえば、知人から何かアドバイスを受けて、それを実行したくないとき。猛烈に反論してしまう。たとえば、誰かが言った意見が自分の考えと違っていたとき、言い負かしたくなってしまう。もしそうなら、こんなことを意識してみるとよいかもしれません。
境界線をしっかり持つ
境界線(バウンダリー)というのは、対人的な城壁や国境のようなもので、「ここより内側は私個人の領域です。私の許可なく何人たりとも侵入できません」という境目のことです。「Noと言える力」とでもいいますか。
※境界性パーソナリティ障害の境界(ボーダー)とは関係ありません。
なぜこれが関係あるかというと、境界線が弱い人は、人から言われたことが個人の領域まで侵略して来るように感じるからです。つまり、「意見を言われた」と「意見に従わなければいけない」がしっかり区別されていないのです。他人の意見に支配されやすい性質を持っていると、他人の意見に反撃しないと自分の自由を守ることができないわけです。
「他人が何を言おうが、私(の内側)には関係ない」と思えないわけです。つまり、他人が何を言うかが、私を支配するということです。
人の意見が恐い
たとえば、「○○すべきだよ」と大きなお世話なことを言われたときに猛烈に反撃したくなるのは、境界線ではありません。たとえば、失礼なことを言われたときにキレちゃうプライドの高さは、境界線ではありません。
境界線が弱いから反撃したくなるのです。
厄介なことに、境界線が弱い人は、反撃能力が境界線だと思い込んでしまいます。「言い負かすことができる私は、他人に支配されない」と思っていますが、実は「言い負かさなくても他人に支配されない」人に比べて境界線が弱いのです。
境界線がしっかりしていると、個人的なことについて「○○すべきだよ」と言われても、「なるほど、そうですね」と受容れたふうに言いながら、実際にはそうしない、なんてことも出来ます。
境界線がしっかりしていると、他人の言葉によって自分の行動が支配されないので、反撃する必要がありません。
境界線が弱いと、他人の言葉に支配されるので、本当に従ってしまうか、さもなくば反論して相手の言葉を変えさせる必要が生じます。
自分が感情的に反発してしまうとき、それは境界線の強さではなく、境界線の弱さかと疑ってみるのもよろしいかと思います。
境界線をしっかり持つということは、拒否するためにリングに上がるのではなく、リングに上がることを拒否することです。「カーン」とゴングが鳴ったら瞬間に注意してください。反射的にリングに上がってしまうのは境界線が弱いということです。
売り込みが恐い
また、境界線が弱い人には、”売り込まれる恐怖”があります。
境界線が強ければ、売り込みもあまり恐くありません。「なぜ買わないのですか?」と言われても、「私は買いません。理由を説明する必要はありません」と言えます。
境界線が弱い人は、買わない理由を一生懸命説明してしまいます。それは「説得されたら買います」と言っているようなものです。
そうだとしたら
ですが、これらは解消できる可能性があります。
特定の場面で何らかの反応をしてしまうということに思い当る方は、自分の感情を観察してみるのもよいかと思います。本当は何を怖れているのかを知ることができれば、それに対して馴らしてゆくアプローチもできるかもしれません。たとえば、嫌われたくないから支配されるというのであれば、嫌われる勇気が役に立つかもしれません。
あるいは、本当は支配されないのに支配されるかのうように感じてしまう人の場合は、本当に自分を支配していたものと対決する必要があるかもしれません。本当の脅威と対決できないから、目の前の関係ないものと闘ってしまっているかもしれないのです。
特定の相手にだけ起きる場合は、相手との関係性が前提にあるかもしれません。その場合は、反発する話の内容とは違った次元に目を向ける必要があるかもしれません。
いずれにしても勇気のいる作業になります。言い負かすのは勇気ではありません。言い負かすことで何を避けているのか。その答えを疑う必要があります。
参考