私が「強い人」と呼ぶのは、社会的弱者や弱っている人

私は対人支援業者としては、珍しい世界観をもっています。

心理セラピストとしての私は「強い人」に関心があります。

多くの対人支援職者は「強い人には関心がない。弱い人をサポートしたい」と言います。

誰を「強い人」と呼んでいるかが異なるようです。

私が「強い人」と呼ぶのは、繊細な人、何かが出来ない人、不安でいっぱいの人、傷ついている人だったりします。

多くの対人支援職者は、それを「弱い人」と呼んでいるようです。

人を蹴落として勝ち組を目指せる人、感謝されることに飢えた人などなどは、私は「強い人」とは呼びません。

話が噛み合わないと思ったら、どうも呼び方が一部逆になっているようなのです。

私が「強い人」と呼ぶのは、苦しんでいる自覚のある人たち。苦しむことができた人たち。

なぜ「強い人」に関心があるかというと、その人たちが幸せへのチャレンジをしてゆけば、多くの人たちにとってもよい世の中ができる可能性があると感じるからです。

私も自分の障害や弱さを受け入れてきた話をすると、「強い人ですね」とよく言われます。

多くの対人支援職者は自分よりも弱い人たちを助けようと考えています。

私は自分よりも強い人たちを助けています。

私のクライアントたちは困っていたり、大変だったり、どーしよーもなかったり、泣いていたり、弱さがあったりしますけど、弱い人はあまりいません。

少なくとも、弱いから支援しているわけではありません。

※当サイトの記事には独自の意見や枠組みが含まれます。また、全てのケースに当てはまるものでもありません。ご自身の判断と責任においてご活用ください。
※プライバシー保護優先のため、当サイトの事例は原則として複数の情報を参考に一般化/再構成した仮想事例です。

広告