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「わたし愛着障害なんです」という言葉

人の健康に関わる支援業の方とお話しすると、「『私は愛着障害です』と自分で言う人が増えたのねえ」と言われます。

数年前に言葉が流行ったんですよね。つまりラベリング用に人気があるってことです。

「愛着大事だよねえ」ではなく、必ず「わたし愛着障害なんてす」という形で聞かれます。「愛着障害を克服したい」もめったに聞かないです。

もし、一般の人よりもデリケートであることに配慮してほしいのであれば、「愛着不安定らしく、ビクッしたり、不安になったりするかもしれません」などと、何を心配しついるかを言えるとよいです。

もし、お悩みを解決したいなら、「愛着障害があてはまるように思います。そのテーマを扱うとよいのではないかと思うのですが」といった表現になるところでしょうか。

愛着障害があったとしても、愛着障害がお悩み解決のカギとは限らないです。

現代人の半数くらい、愛着障害の性質を多かれ少なかれ持っている気配もあります。

お悩みを解決したいとしても、「愛着障害であることが悩みです」というのは、ちょっと変です。

また、克服したくないけど、アイデンティティーとしてラベルが欲しいというのであれば、あまりよい言葉ではないです。原因と疾患を指す言葉なので。

解決したくないけど、原因を追及するというのは、自身に呪いをかけるようなものです。

でも、一番多いのは、「普通」を要求されると苦しいという想いかなと思います。「触れ合いを喜べ」とか、「フレンドリーになれ」とか、「結婚しないのは負け組だ」とか。事情あって、そういう規範には入れないと言いたいのかもしれません。

原因論で言わないと、受け入れてもらえない感覚はごもっともかもしれません。

疾患名を使うのであれば、克服をめざしているのか、苦しみを原因のせいにしたいのか、どちらなのか自覚することをお勧めします。

苦しみを原因のせいにして生きてゆくのは運命を不幸な方へ転がしがちです。これは、原因推定が正しいかどうかの話ではありません。

日常生活に悩む人は多いが、それをすべて精神疾患としてよいのかとフランセス博士は問いかける。通常の悩みまで安易に精神間として治療の対象にしてしまうと自然治癒力が失われてゆく。

『〈正常〉を救え』アレン・フランセスの日本語訳序文 大野裕

※ちなみに、大人の愛着障害についてはDSM-Vには定義されていません。それを嘆く日本の専門家もいますが、私は疾患扱いしない方がよいと思っています。

 

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ゆめのたね放送局の許可を得て公開しています

 

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