大人の愛着障害(不安型)の克服ってどんな感じ?

愛着不安定(愛着障害)のなかに不安型というのがあります。

深刻な場合は、不安のあまりDV加害者となったり、不安のあまり彼氏の返信が遅いとキレたりなんて人もいます。

そこまで顕著に表れなくとも、内なる安心基地がないことで、その感覚に思い当たる人たちも多いです。

一般的にはその解決とは、問題行動がなくなることや、出来なかったこたが出来るようになることを中心に語られます。

しかしそれらは支援者視点もものであり、当事者が視点ではありません。ここでは、当事者が体験する世界として、克服、安定化の解決像(克服イメージ)を語ってみたいと思います。

未解決イメージ:ここは恐ろしい世界

権威ある定義はともかく、Kojunが出会ってきた愛着不安定(不安型)の方々のイメージはこんな感じです。

「武器のない丸腰で戦場に放り出されたような感じ」

「生きること自体が恐い」

「味方はいない。だれもが敵かも攻撃しれない」

総じていえば、この世は恐ろしいところだということです。

克服イメージ1:世界が恐ろしくなくなる

克服するとどうなるのか。そのひとつとして、単純に「世界が恐ろしくなくなる」という解決像はあります。

もう少し詳しく言えば、この世には恐ろしいことも素敵なこともあります。扉を開けたらどちらが起きるか、どちらも想像可能ですが、無意識レベルでどちらを真っ先に想像しているかが異なるようです。

不安型だと真っ先に恐ろしい世界を想像しています。安定型だと逆です。

深いところにある自動思考、スキーマ、中核信念の違い。その背景に愛着スタイルがあると理解できます。

克服プロセスの中でこれが短期間に反転すると、「愛着安定の人はこんな世界を見て生きていたのかあ。ずるいなあ、これじゃあ上手くいくわけだ」という感想になることもあります。

これは「だれもが敵かもしれない」が解除されたことに相当するでしょう。

克服イメージ2:世界が恐ろしくても生きてゆける

もう一つの克服イメージ(解決像)は、「世界が恐ろしいということが恐ろしくない」です。

たとえば、「上司に叱られるかもしれないけど、それを避けることの優先度は高くない。逃げたしたくなるほどではない」

「大恥をかくかもしれない。けど、チャレンジしてる自分にワクワクする」

これは「味方はいない」が解除されたことに相当するでしょう。

「上司と一緒に責めない人」とか「大恥かいても嘲け笑わない人」もいるぞーって感じです。実際の人物がいなくてもです。(ここ大事)

「敵はいるけど味方もいる」ってことですね。

これらの克服体験は共存する

これらの克服体験は両方が共存して起こりえます。

もしあなたが今ファミレスにいたとしたら、近くのテーブルの人が急に立ち上がっても、あなたは無意識的に身構えなくなります。

つまり克服体験1は、目の前のことに分かりやすいでしょう。

もしあなたはオーディションに申込んで、恥をかくかもしれないとしても、全てをなかったことにするための爆弾(または完璧な言い訳)を予め会場に仕掛けておきたくはならないでしょう。

つまり克服体験2は、出来なかったことが出来るようになる感覚として分かりやすいでしょう。

克服体験1が得られると、行動により克服体験2を取りにゆけます。

克服体験2の味方がいる世界観ができると、案外と敵は少ないという克服体験2が活性します。

そして、内なる安心基地を育てながら、実際の人間関係に反映してゆきます。その過程で期待を裏切られても、内なる安定化が出来ていれば、経験を消化することで精度を上げて他をあたるようになります。

参考

※当サイトの記事には実践経験に基づく意見や独自の経験的枠組みが含まれます。また、全てのケースに当てはまるものではありません。ご自身の判断と責任においてご活用ください。

※当サイトの事例等は事実に基づいてはいますが複数のケースや情報を参考に一般化して再構成、フィクション化した説明目的の仮想事例です。

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