対人支援での余計なアドバイスというのは、見下し、憐れみ、差別から起きることが多いように思います。そのさらに奥にはジャッジ(決めつけ)や思い込みがあります。
たとえば、セックスワーク(いわゆるフウゾク業等)に従事したことがある人に対して、女性カウンセラーは憐れみのような見下した気持ちをもつかもしれません。それを「憐れみなんか持ちません」と綺麗事でカバーするのがアマチュアで、「好ましくはないことだけど、私は憐れみを持っている(見下している)、そんな自分もいる」と認めることができるのがプロの対人支援のように思っています。自覚しているので余計なアドバイスになりにくい。
セックスワークに限らず、リストラされたとか、やっかいな特性があるとか、トラウマがあるとか、マイノリティーとかについても似たようなことが言えます。
自分はそうなりたくない、かどうかを問えばリアリティーが見えてきます。「なんとも思いません、しかし、自分はそうなりたくない」という人に関連することを相談しても浅いことしか話せません。
そして、さらに、綺麗事ではなくて本当に憐れみを持たない人たちもいます。それは当事者(元当事者)です。自分もそれを経験し、誰かと助け合い生き延びた人たちというのがいて、対人支援の専門性ももっている当事者の対人支援プロ。
自分はそうなりたくなかったということも、なってよかったことも、全て自分の気持ちとして所有している人ですね。
まとめると、私の勝手な分類は、アマ、プロ、当事者プロ。
私が良さそうに思うのは、応急処置にプロ、根本解決に当事者プロ、仕上げにプロという組み合わせ。応急処置があると、当事者プロを選ぶ余裕ができるかなと。当事者が当事者プロを人選するのは少し余裕がないと難しいかもしれません。余裕がないと、「当事者に会う」=「傷の舐めあい」という固定観念を越えることができません。